※趣味の悪いお話




 つなぐがわたしを連れまわす日は、決まってまず、彼好みの服をみつくろいに行く。彼の勝手な都合で彼に連れ去られるときのわたしはたいてい冴えない公立中学のブレザーを着ているからだ(曰く「俺の美的感覚に著しくそぐわない酷い縫製」とのこと)。たまの放課後、正門前に止まってひとりの女生徒をさらっていく、埃ひとつない黒塗りのワゴンを、一体みんななんだと思っているのかな。まさか運転しているのが言わずと知れたプロヒーローだとは思わないだろう。スーパースターのスキャンダルが欲しいパパラッチは、ずっとわたしを張りこんでいたらいいのに。そしたら、とてもめずらしいものを見せてあげられる。彼の寝室まで辿りつくことができればの話、だけれど。

「姉の娘でね」
「姪御さんでございましたか」
「こんな仕事だと、結婚もいつになるやら。もう半分、自分の娘のような感覚だよ」
「ええ、ええ。お察しいたします」

 制服のスカートを素足で蹴散らしながら、試着室のカーテン越しに大人たちのざれごとを聞く。三十五歳の男が何を年寄りじみたことを、と思う。ぴちぴちの十五歳をとっつかまえて「自分の娘」だなんて、よくもそんなことを。だけど彼はわたしを連れているとき、初対面の人間には必ずこういう「言い訳」をするのだった。
 まっしろいキューブのような接客室に、眩暈するほど大量の衣裳と服飾品が並べられている。つなぐは望み通りの服を探すためにブティックをはしごするようなせかせかした真似はしない。この場所に、ひとところに、自分好みのあらゆるものをとり集めるちからが彼にはある。このあいだは着物だらけだったが、今日は膝上丈のドレスばかりが用意されていた。気持ち悪いぐらい、整然と。
 背中のジッパーを上げてもらって、カーテンをひらく。そしてまた閉じて、ジッパーを下げてもらう。果たしてこの部屋で試した五着目のドレスは、淡いクリーム色の生地にボタニカルの総柄がほどこされたノースリーブのワンピースだった。

「後ろを向いてごらん」

 薄く色の入ったサングラスをちょっとずらして、つなぐがわたしの着こなしを品定めする。背中は大胆にひらいていて、そこに金色の細いチェーンと赤いリボンが架かっていた。たっぷりタックが入ったスカートは腰からひろがり、いかにも可憐なシルエットを演出している。つなぐは何度か角度を変えてわたしを眺めたあと、ゆっくり脚を組み直した。どうやら、五度目のドレスは彼のお眼鏡にかなったようだ。

「いいじゃないか。これにしよう。このまま着て帰らせたいのだが」
「かしこまりました」

 わたしの意見などろくに反映されない買い物だけれど、つなぐが選ぶものはどれも日常から遠く離れて、それでいて過不足なく、わたしをほだすには余りあるしろものだった。彼がもろもろのサインをしているあいだ、手のつけられていないドレスや、アクセサリーのガラスケースを、散歩のように見て回る。品よく並んだハイヒールの前で、ひたりと足が止まった。目が覚めるような赤い光沢、凶器のようなピンヒール。それはちょうど、背中に結んだリボンと同じ色を宿していて。

「ルブタンはまだ早いな」

 振り返るとつなぐがわたしを見下ろして立っていた。わたしと、わたしの視線の先にあったヒールを。すぐ背後に、大きな手提げ袋を仰々しく抱えたセールスマンが愛想よく笑って立っている。わたしが袖を通したドレスは、けっきょくすべて買い取ってしまったらしい。ヒーローという生き物は、概して見栄っ張りだ。

「似合わない?」
「お前じゃその靴でまだ、美しく歩けないよ」
「そうかな……」
「さあ」

 うながされたのは禁欲的な黒のエナメルのストラップシューズだった。シンデレラのガラスの靴のようにぴたりと足に嵌って、恥ずかしいぐらいのオーダーメイドだ。太めのローヒールを鳴らして、わたしは彼の斜め後ろを歩いた。そしてまた、彼の愛車の、助手席に乗りこむ。秋の夕暮れにノースリーブは少し肌寒かったけれど、車内はほどよく暖まっていて、眠気を誘うぐらいだった。
 わたしは彼のなんなのだろう。そういうことは考えないようにしている。彼はわたしの母の自慢の、ほとんど尊崇の対象ですらある完璧な弟で、わたしは彼にとってそんな身近な信奉者が十五年前に産み落とした姪だ。それでいいじゃないか。青黒く染まっていく東京を眺めやりながら思う。スモークのかかった窓に映るわたしは、彼と似た抜け目のない瞳をしていた。

 運転の最中、何が食べたい、と訊かれたので、ちょっと悩んでからグリーンカレーが食べたいと言った。とてもお腹が空いていた。わたしが何を食べたいと言っても、つなぐはひとつも困った顔はしないし、驚いたりすることもなく、難なく美味しいものの在り処へとわたしを連れていってくれる。わたしはめでたい食いしん坊だった。言葉少なな食事の静けさも、それに見合わないねちっこい視線も気にならない。食べることは大事なこと。生きるにも、二人にも。まっとうな何かをともにしている、そういう気持ちにさせるから。

「今日はずたずたにしないでね」

 誰にも邪魔されずにのぼっていくエレベーターは長く孤独な旅のようだ。異界へとつながっていく気さえする。つなぐが背中のリボンをいじっているのを、わたしは夜景越しに見ていた。ようやく、顔を隠していたサングラスをはずして、つなぐが頬の筋肉をほんのちょっと弛める。十年ほど時が止まっているような、磨かれた美男の顔だ。彼を研いだのは世間そのもの。音もなくドアがひらき、彼がわたしの肩に手を添える。

「それは心外だな。いつも寸分たがわず直してやってるだろう」

 俺の腕も舐められたものだ、なんて白々しいことを言う。そういう問題じゃない。このみごとなドレスをみごとであるがゆえに壊しがいのある装飾だと見染めて買っている、そういうナンセンスな性癖をからかっているというのに。
 密室に辿りつくと、彼はわたしの身体じゅうどこでも撫でる。顎を撫で、首を撫で、二の腕を撫で、腰を撫でる。万事、服を乱すことなく。撫でられるたびにわたしはわたしの知らないどこかに錘を積まれていくようで、いつの間にか、ベッドとか、ソファとか、ふかふかのカーペットだとか、やわらかいところに倒れるようにして背中を預けている。ああ、もう。そしてわたしはいつも、辛抱のできない自分にがっかりするのだった。

「あんなに食べたのに、お前のここはうすっぺらだな」

 臍のくぼみに指の関節をひっかけられる。非常さに負けてぐらりとくる。やめて、と言うと指は離れていった。彼はわたしを勘違いさせない。わたしをダブルベッドに残して、彼は一人掛けのソファに身を沈めた。ランプひとつの世界で、余計にそれはてらてらと光っている。彼の指先にはすでに、わたしの太ももをあらわにする繊維の残骸が絡めとられていた。
 わたしは彼のベッドに何度も寝そべったことがあるけれど、彼と二人でここに横になったことは一度もない。つなぐはいつも自分のベッドの上で少しずつ美しい衣服を剥ぎとられていくわたしを見ているだけだ。彼の指ひとつで自在にかたちをかえるドレスに抵抗できることは少ない。だけど、なすすべなくぼろぼろとレースのペチコートが崩れていくさまには、自然とため息がこぼれた。背中をまるめて、シーツに皺をつくる。目を閉じたり、ひらいたり、せわしなく心地のいいかたまりになろうともがくけれど、何度こうされても、その一点を探しだすのは難しいことだった。

「何を考えている?」

 まぶたを上下させる。見せつけるように、つなぐの指が数本ばらばらとうごめく。崩れて紐のように細くなったドレスの切れ端が手首を数回くぐり抜け、綿のようなやさしい手錠をつくってしまった。何を考えているんだろう、わたし。問われて初めて、自分の内側のことに意識が向く。辛みのあるくすぐったさが腰を抜けて、今のわたしには思慮のふもとにあるものを寄せ集めるのがやっとだった。

「あ、……あの、靴、かわいかったなって……」

 笑いがこもる。一丁前にねだっているのか、と。そんな恰好だけのさげすみよりも、わたしは自分のたどたどしい声がおそろしく、溶けてしまったみたいに首を横に振った。わたし、ただの一度もねだったことなんか、ない。与えるのはそっちの勝手だと思う。でもそうやって知らんふりできないのが二人という定員でしかなされない遊びなのだ。この性を、もう少しちゃんと分かりたい。

「大人になるまで我慢しなさい」

 赤いリボンがあまやかな肉の稜線をすべって足首から足の裏へ。さりさりと乾いた音を巻きこんで、わたしの片足をじつに器用に覆った。まるで纏足のように、わたしを縛る即席の赤い靴。どこかに行くためではなく、どこへも行けなくするための靴。この世は平和だ。
 彼のせいで。
 わたしが大人になったら、ハタチのお祝いに彼はあの靴を贈ってくれるのかな。それとも、大人になったわたしのことなんか全然どうでもよくなってしまうのかもしれない。それは、いやだなあ。年相応に、クラスメイトの男の子たちと遊んで、一緒に手をつないで帰りたいとか、キスをしたいとか、気持ち良いところを教えあいたいとか、思わないわけではないけれど、今はまだこのレイト・ショーを失いたくはない。足首の赤に見蕩れながら、わたしはそんなことを小ずるく仕舞いこんでいる。どんなに捲られ、剥がされ、暴かれたとしても、彼には見破ることのできないとっておきの死角に。









THE END

2016.9
プライベートなのでジーニストの一人称を「俺」にしています。