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 目を閉じているときの鋼くんは、私たちとは違う時間の流れのなかに生きている。週に三日の事務作業と、ランク戦の当日に任される記録作業をとおして、私はすぐにその異様な才に気づかされた。じっさい、誰もが驚いている。二月からのランク戦は、隊の順位こそふるわなかったものの、鋼くんの名前をたちまち隊員じゅうに知らしめた。きっともう、本部に鋼くんのことを知らないひとは居ない。何せ、この短期間で、彼はアタッカーのソロ順位をついに一桁に乗せてしまったのだ。
 比較的のどかな地区とはいえ、鈴鳴支部はほんとうに人手が足らなくて、私のような事務のしろうとであっても居なくては仕事が回らないほどだった。防衛任務もひっきりなしに回ってきて大変そうだったけれど、その代わり、しょっちゅう顔を合わせる隊員たちはみな仲が良く、職場としては上々だった。わるくない。この場所も、ここでルーティンをこなす自分も。そんな気持ちが、数ヵ月も経てば私の日常になっていた。
 まだ五月だというのに真夏日が続いたある日の午後、ついに初めて、事務所のクーラーを動かした。廃墟をつぶした更地に無秩序に雑草が生い茂る、夏の入り口。支部長さんに頼まれたお使いを済ませて、夕方の事務所に戻ってくると、今日は非番のはずの鋼くんが私を迎えてくれた。ソファにはタブレットが伏せて置かれている。鈴鳴第一にとって二度目のランク戦があと十日後に迫っていた。

「ログ、見てたの? 初戦の相手の」
「あ、いや」

 なにかごまかそうとするので気になってしまい、好奇心から共用のタブレットをのぞくと、そこには古いランク戦の動画が映しだされていた。一目見て気づく。それが、二年前の夏のものだと。その映像は、私が唯一参加したランク戦の、最後の一戦を録ったものだった。

「わたしの隊だ」
「すみません。借りてきたログのなかにあったので……」
「なんで謝るの? なつかしい……楽しかったなあ、この試合」

 どことなくばつがわるそうな鋼くんのとなりに腰かけて、私はしばらく、吸いこまれるようにその映像を眺めた。自分の記録なのに、いまこうして見ると信じられない、夢みたいに思う。こんな動きが自分にできたのか。二年前の私はこんなふうに立ち回れたのか。重たく鋭い凶器、弧月。両腕をつかって相手の隙めがけて振り下ろす。思い通りにこの傑作トリガーを扱えたとき、ほかでは味わえないような達成感があった。

さんはもうアタッカーには戻らないんですか」

 映像のなかの私が、相手のシューターの後ろをとり、弧月でポイントを奪ったタイミングだった。久しぶりに口をひらいた鋼くんは、いまさらだいぶ意外なことを私に尋ねた。そんなこと、鈴鳴の手伝いにきてからはいちども考えたことがなかった。べつに、アタッカーとして鋼くんの才能に圧倒されていたわけじゃない。ただ、あのころの楽しさと、今の楽しさを、天秤にかけようという気が起きないだけだ。タブレットを鋼くんに返して、私は首を横に振った。

「わたしの学科だと、大学に通いながらランク戦に出るのは難しいから。惜しむほどの実力もないし」
「いえ。きれいな剣筋です」
「それって動きが単純ってことでしょ?」
「何を積み上げるにしても、肝心なのは土台です」

 荒船の受け売りですけど、と付け足して、鋼くんは頬をかいた。鋼くんのお師匠さまは、なるほどじつにお師匠さまらしいことを言う。そうだねえ、と当たり障りなく返しながら、胸のうちではまだ、ほんとうに返すべき言葉を探していた。タブレットのなかで、高校生の私が刀を振りまわす。たった二年前の自分が、まるで自分ではない別人のように感じられる。まだ、私は私を負いきれていない。そんな、うしろめたい心持ちがした。

「オレはさんの太刀さばき、好きです。しなやかで強い」

 しんみりと凪いだ胸のなかに、鋼くんの優しい言葉がさざ波打つ。彼の言葉はいつも説得力というものがある。たとえお世辞でも、ささいなことでも、今の自分とはかけ離れた過去の自分のことであっても、彼のような異才のひとに凡百の勇姿を褒めてもらえるのは、今の私にとってかけがえのないなぐさめだった。



 六月からのランク戦は、鈴鳴第一にとって躍進のシーズンとなった。ひとりひとりの成長速度の早さは、入隊してまだ一年にも満たない彼らの「若さ」ゆえだろうか。鋼くんは相変わらずすさまじい活躍ぶりで、アタッカーの個人ランクをさらにのぼりつめた。ほんとうは支部に居ていい才能じゃないんだけどね……と、来馬くんはときおりそんなふうに言って、困ったように笑う。確かにそうなのかもしれないが、鋼くん本人の性格にはきっと、鈴鳴ののどかな気風が合っているのだろう。こういうのもひとつの適材適所だ。そしてまた、自分の納得した場所に自分を収めているということが、彼のちからになっていく。華麗に戦うその姿をモニター越しに眺めながら、私はいつしか彼の適切さを称えるような気持ちになっていた。どこでもいい、と言いながら、少しも流されているところがない。私とは、まるで正反対だ。

さん」

 八月最後の週末、ひと月ぶんの経費をまとめた書類を経理部に提出しにボーダー本部に赴いたとき、ラウンジ前で鋼くんとばったり出くわした。鈴鳴第一の隊服を着ている。どうやら、トリオン体のようである。つい先日B級ランク戦を終えたばかりだというのに、日々の鍛錬を怠らない彼には休息という発想はないみたいだ。手をあげて私を招く鋼くんに近づきながら、私も、彼に手を振ってこたえた。

「鋼くん、模擬戦やってたんだ。おつかれさま」
さんもおつかれさまです。手当ての申請の日でしたよね。いつもありがとうございます」

 ふと視線を感じて鋼くんの背後を見やると、二人がけのソファを堂々と占拠してカゲくんが座っていた。
 カゲくんと私は入隊時期が近く、本部で訓練を受けていたころはよく顔を合わせていた。何度か模擬戦の手合わせもしたことがある。私がアタッカーを休業しているあいだにA級までのぼりつめていたらしいが、今回のランク戦からB級に降格になったようで鈴鳴第一とも何度か対戦をしていた。こうしてじかに話す距離で彼と会うのは、あのころ以来だ。

「カゲくん、久しぶり」

 声をかけると、彼と向かい合ったときの独特の緊張感が一瞬にして胸によみがえった。あのころは、尖った切先のような瞳が、私の半端な態度をいつもねめつけているような居心地のわるさを感じたものだ。その何倍も彼は他人とのかかわりのなかで疲弊しているのだと、分かっていたとしても。

「……お前マジで鈴鳴のお守りやってんだな」

 ソファに座って脚を組んだまま、げんなりした目つきで彼は私を見据えていた。そういえば、二年前のちょうどいまごろ、私の夏は彼に殺されて終わったのだった。仮想体を八つ裂きにするような、容赦のない斬撃。きっといま、私も、カゲくんも、そのときの感覚を思いだしているに違いない。

「うん。手のかかる子どもたちです」
「クソが。いつコッチ復帰すんだよ」
「無茶言わないで」

 こういう物言いがカゲくんにとって自然で、彼なりに発破をかけようとしているのかもしれないけれど、その選択肢が最良だと決めつけられるのは今の私にとって息苦しい。なんと返したらいいか迷ってしまったそのとき、さん、と助け船をだすように鋼くんが私の名前を呼んだ。

「鈴鳴に戻るならオレも一緒に帰りますよ。その前に食堂でめし食っていきませんか」
「あ、うん、いいね。お腹ぺこぺこだよ」

 じっさい空腹を抱えていたので、すぐに同調してうなずく。何も言わずとも彼は私をさりげなく守ってくれた。ささやかな安心感が胸をつつむ。けれど、ほっとしたのもつかの間のことだった。鋼くんのとなりで、カゲくんが怪訝そうに眉をぴくりと引き攣らせたのだ。彼はさも当然のことのような口調で、こう言った。

「鋼お前、月末はカノジョが泊まりに来てんだろ、家に」

 私は、自分のなかにひろがっていく冷たい驚きの心地よりも、目の前でさっと表情を失った鋼くんの、見たこともない強張った顔つきに、何より動揺した。ほんの一瞬、すぐにとりつくろっても、無かったことにはできない。ああ、これは彼の隠しごとなのだと、そう思わざるをえなかった。

「……今月は会えないんだ。忙しいらしくて」
「ぶは、お前ついにフラれたか」
「そうかもしれない」

 げらげらとカゲくんが笑う横で、鋼くんはうっすらとぎこちない笑みをたたえていた。男の子同士の会話のなかでは、きっと今まで何度も触れたことのある、他愛のない話題なのだろう。私がここに居るということが、鋼くんをうろたえさせてしまっただけで。だから黙っていた。けっして掘り返さないで流してしまおうと思った。無かったことにはできないけれど、せめて、無かったようにふるまおうと。
 だけど、鋼くんのほうはどうやらそういう心持ちでいられなかったらしい。だんだんとひとが集まってきた午後六時過ぎの食堂で、日替わり定食をつつきながら、彼は控えめに口火をきった。私の反応をしごく気にしているような、自信のなさそうな表情をして。

「……あの、さっきカゲの言ったこと、真に受けないでくださいね」

 いつも丁寧に話をしてくれる彼にしては、それはあまりにあいまいな言い方だった。ごくりと白米を飲みこんで、目を伏せる。あんなにお腹がすいていたはずなのに、どうにも、食事の味がまるでしない。まるで風邪でもひいたみたいだ。

「いつ本部に戻るんだ、っていうの? さすがに今から野良のB級やるのはきついよね」
「いえ、その……はい」

 口ごもる鋼くんを見て、私は内心、大きな溜め息をついた。言いにくいのは私も同じなのに、無かったことにしたかった話をわざわざ切りだしたのは鋼くんのほうなのに。そんな恨めしい気持ちを彼に抱くのは初めてのことで、どうにもやるせなかった。

「……わかってるよ。彼女のことでしょう。ほんとデリカシーないんだから、カゲくん」

 一丁前に傷ついているのかもしれない。理不尽にも苛立っているのかもしれない。でもこれは、恋ではない。ただ、さみしかったのだ。彼を知らなかったということが、彼をずっと見過っていたということが、とても。子どもじみたわがままでしかない。だからこんな気持ちとっとと祓ってしまいたいのに、そう思えば思うほど、薄暗い感情がうずたかく吹き溜まっていく。

「もう、ずっと連絡もないので、付き合ってるのか……」

 ぽつりと、そんな言葉をこぼして鋼くんが視線をななめに泳がす。あの律儀な鋼くんとは思えない、なんとも半端で、ともすれば無責任な言い草だと思った。恋愛というものは、鋼くんのようなひとであっても曇らせてしまうおぞましいちからをもつ。彼の優しさも、誠実さも、けっして嘘ではないと身をもって知っていればこそ、そのちからの非情さをまざまざと思い知らされた。

「鋼くんから連絡してあげたら? 仕事で忙しくしてると思って、遠慮してるのかもしれないよ」

 自分の声が思っていたよりもずっとそっけなくて、刺々しい。私の真向かいで、鋼くんは何か思いつめたような険しい顔をしてすっかり箸をとめていた。今日は鋼くんの見たこともない表情を見てばかりだ。ごめん、何も知らないのに……。そう言いかけて、すぐさま口をつぐんだ。鋼くんが箸を置いて、私をまっすぐに見据えたのだ。

「初めて会った日、さん、オレのことを無欲だと言いましたよね」

 初めて会った日。裏側の季節の、真っ白な夜のことが断片的に頭によぎる。だけど、彼がなんの話をしているのか、にわかには分からなかった。

「……え? なに、」
「彼女のことを話さなかったのは、さんに知られたくなかったからです。隠していたんです、ずっと。あなたにそういう目で見られたくなかった。さんの前でだけは、無欲な自分でいたかった。そう、思ってしまったんです。あのとき……」

 鋼くんの声が苦しげに震えている。ひといきにわだかまりのすべてを吐きだして、鋼くんは目をきつく閉じた。私はただただ圧倒されて、言葉以上のあまりある勢いでなだれこんでくる彼の感情に呑まれ、溺れてしまいそうだった。きっと彼の言っていることの半分も私は理解できていない。半分どころか何も理解してあげられない。だけどいま、ひとつだけ確かなことは、私は出会ったその日からずっと、少しずつ彼のことを傷つけていたということ。なにげない、悪気もない、たった一言あふれた本音のせいで。

「……オレは汚い人間なんです」

 食堂の片隅で、鋼くんがが私にだけ告白してくれたこと。
 あれからずっと、今にも泣きだしそうな彼のひずんだ瞳と、絞りだすような声と言葉の響きが、頭から離れない。彼はもしかしたらとてもずるい態度を、私にも、私の知らない女の子にも、とってしまったのかもしれないけれど、今の私には彼の隠しごとを責めようという気持ちは少しも湧いてこなかった。
 どんなふうに彼のことを思えば、もうこれ以上彼を傷つけずに済むのだろう。おのれの欲深さを打ち明けるこの男の子が、私にはそれでも美しいと思えてしまうのだった。









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2018.10