Ⅰ two of a kind - 1

caution

木葉・夢主が高2、赤葦が高1の冬から始まる三角関係のお話です。ジョージ朝倉『ハートを打ちのめせ!』のオマージュの要素を含みます。全体を通して不道徳・不健全な表現、若干の性描写等ありますのでご注意ください。




 大人たち曰く私たちが手にしているという無限の可能性とやらに希望の名が与えられているのなら、たった一人の誰かにたったひとつの道を指し示してほしいと、それ以外のあらゆる可能性をひとおもいに殺してほしいと願う私はきっと絶望の乞食なんだろう。

「もうあのひとのところに戻らないでください」

 何回目かのアキの浮気が発覚して、何回目かのつまらない喧嘩のあと、何回目かの惰性のような仲直りを目前に予感していた、冷たい風の吹きつける冬の日だった。好きです、の一言すら巻き戻して立ち止まって一音一音確かめたいくらいなのに、赤葦の真剣なまなざしは私の思考を止めることはできても私の時間を止める魔法は使えないみたいだ。帰りのホームルームを始めるチャイムの音が階下から聞こえてくる。もう、戻らなくちゃ。だけどそんな抜け道ここにはない。屋上は遠い、はるかな異国のようだと思う。お行儀よく授業を受けているだけでは絶対に踏み入ることのないこの国に、私は幾度となく流れ着いた。目の前の彼が妙によそよそしく言う、あのひと、と。

「俺、全然ないですか」
「赤葦がないわけじゃ、なくて」
「二番目でもいいです、最初は覚悟してるんで」

 コートも着ていなければ、マフラーも巻いてない。六時間目の移動教室終わりにそのままここに連れて来られて、腕には化学の教科書とノートを抱えたままだし、全身がかじかんでいるようで自分の声も心なしか震えている気がする。真冬の午後はこんなにも冷たいのに、それでも私の前に立ちはだかる彼はというと、ここに来てから一度だって寒そうな素振りをせずにしゃんと背筋を伸ばしたままなのだ。その「覚悟」に気圧されてしまいそうになる。彼がこんなふうに鋭い目つきで感情を押し通すひとだったなんて、全然、知らなかった。

 赤葦京治。バレー部の子。帰宅部で部外者の私にも気を遣ってくれるし、よく懐いてくれる、かわいい後輩。と、思っていた。懐いてくれるといっても彼のそれは傍目から見たら優しさにも満たない素振りに映るだろうけど、彼は決して人当たりがきついわけじゃなかった。廊下で鉢合わせるとさりげなく会釈してくれたり、他愛のないことで話しかけてくれたり、試合のこととかアキは面倒臭がってあんまり教えてくれないけど、赤葦は場所とか時間とかまめに連絡をくれたりする。赤葦は、良い子だ。それ以上も、以下もなく。だからこそ、好きです、の一言を投げかける相手を彼は間違えているとしか思えなかった。

「……柄じゃないことすると痛い目みるよ」

 わざと先輩ぶって、いたいけな後輩をさとすように。たった一つの歳の差を今だけは振りかざして、私にはこんなつまらないことしか言えない。沈黙が流れ、赤葦の硬かった表情がようやく少しやわらぎ、彼は今まで見たこともないほほ笑み方で両目を細めた。いつもの調子が、歯車が、少しずつ狂っていく。

さんのためなら俺、いくらだって痛い目みますよ」

 私のため? それが、君の覚悟なの? 冗談なのか本気なのか、彼のどことなく甘やかな表情が告げ知らせてくれるのはただ、好きだという、私のことを好いてくれているのだという感情だけで、そのまっすぐな、混じり気のない好意がどうにも私が今まで付き合ってきたはずの赤葦京治には似つかわしくなかった。だけどきっと精一杯の告白を信じられないのは、君のせいではなくて。

「柄じゃない言葉」

 こんなときに空気が読めてないのかもしれないけど、涼しげな彼の性格とはとうていアンバランスなその一言に、隠しようもなく小さな笑みがこぼれてしまった。するとそれを合図にするかのように、まるで了承を得たかのように彼が一歩近づいて、風に吹かれて散らかった髪をかきわけ、その冷たい手のひらで私の頬をつつみこむようにした。さん。赤葦が、私の名前を呼ぶ。それは私が何を望もうとも、何を拒もうとも、今この瞬間に、避けがたく二人の恋をはじめてしまう声だった。

「俺に痛い目、みせてください」

 私がずっと、するりと落としてしまわぬようにとこの手のひらに必死に仕舞いこんでいるあいつとの恋は、こんな寒い日に熱い体温をくれる誰かを少しも夢見ないような、そんな恵まれたあたたかな恋ではなかった。もっと冷たくて、凍えてしまいそうで、そのくせ胸の奥の奥ではずっと同じ火種がくすぶっているような、そんなちぐはぐで不健康な恋だった。階下から時おり飛んでくる生徒たちのざわめきを見知らぬ土地の言葉のように聞き流しながら、私の背中に回る彼の腕をじっと黙って受け止める。彼のことを一度だってそういう対象だと思ってみたことなんかなかったのに、どうしてこんなに頭の芯がびりびりするんだろう。

 ――好きです。

 吹きつける風が消える。十七年の人生にたった一度だけの、君の一言が残る。ずるくて、真っ当で、はかない力の。



 木葉秋紀は心底どうしようもない、サイテーの男だ。あれが人並みに爽やかぶっていられるのはバレーコートの上でだけのことで、ひとたびコートを離れればいつもへらへらして、嘘つきで、とにかく女の子にだらしがなく、そのくせ、あんな空っぽなヤツなのにどうしてだかよくモテる。だからなおさらタチが悪い。そんなふうにアキの悪口を積み重ねていると、かおりは「じゃあ、なんで惚れたあげく二年半も付き合ってんだよ」って呆れたように言うし、ゆきちゃんは「木葉は選手としては優秀だけど男としては近づいたらアウトなやつでしょ~」って元も子もないことをさらっと言う。だけど、その通りだ。あれを最低だと罵るのなら、そんな男とだらだら中学のときから付き合っている私だって同じくらい最低なんだから。

 些細な喧嘩をしてから遠ざかっていた放課後の体育館に足を向ける。出入り口から中を覗くと、コートの外でボールの準備をしていたゆきちゃんがすぐに気がついてくれて、私に向かって「久しぶり」と言って軽やかに笑った。

「木葉~、お客さんだよ」

 すると、私の用件も聞かずにゆきちゃんは体育館の端から端まで通るような綺麗な声で、他の二年生たちと体育館の奥のほうで談笑していたアキのことを呼んだ。その場にいた部員たちがいっせいにこちらを向く。もちろん、赤葦も。一昨日、屋上に呼び出されてから赤葦とは二人きりで顔を合わせてなかった。考えておいてください、と言って彼は足早にその場を去ってしまったのだ。昨日、「いつまでに考えたらいい?」とメールを送ったら「なるべく早いと嬉しいです」となんともお固い本音が返ってきた。だから今、私は腹を括ってここに居る。

「何。もうすぐ始まんだけど」

 両手を練習着のポケットに突っこんで、いかにもだるそうな足どりでアキが近づいてくる。ひとを喰ったような態度。機嫌の悪いふりをして、その実ちょっと面白がってるときの半笑い。全部、中学のころから変わらない彼の、どうしようもなく彼なところ。

「今はいいよ。終わるの待ってるから」

 それはちょっと自分でも驚いてしまうくらいに冷めた声だった。アキの半笑いがふっと薄れて、かわりに片眉がかすかに歪む。これが陳腐な喧嘩の陳腐な仲直りなんかじゃないのだと、きっと悟って。うたぐるように首を傾いで、彼は珍しく逡巡するように目を逸らすと、自分も体育館を一歩出て外から出入り口の引き戸を閉じてしまった。ガラガラガラと大きな音を立てて、また、部員たちの要らぬ注目を集めてしまうことが恥ずかしかった。

「今言って」
「でも、」
「何だよ、気になってこのままじゃ集中もたん」

 アキは苛立ったように声を張って、乱暴に背中を引き戸に預けた。もやもやと彼に伝えようとしていた言葉はたくさん浮かんでくるけれど、どれもこれも「これだ」とは思えないものばかりだった。どうすればいい。どうやって、あらゆる可能性の中からたった一人自分の力で進むべき一つを選んだらいい。君はどうやってあのとき言葉を選んでいたの。胸の中で問いかけている、無意識に。こんな身勝手な男相手に、罪悪感なんて味わいたくもないのに。

「もう、仲直りしなくていいから。……一生」

 やっとの思いで絞りだす。無意識の冷めた声とは裏腹に、頭を捻って発した声は所在無げで弱々しい。はー、とアキが長い溜息を吐く。さらりと、アッシュの髪の毛に細長い指が通る。そんな酷くふてぶてしい仕草が様になっているのが、余計に腹立たしく思えた。

「別れ話?」

 めんどくせーな、いきなり。アキの言葉に耳を疑う。今ここでいきなり用件を話せと命じたのは自分のくせして、どうしてそんな心無いことを平気で言ってのけてしまうのだろう。わざとそうしているのか、彼の性根に染みついているのか。アキはいつだって、私の狭量な頭ではとうてい予想もつかない言動を飄々としてしまう。主に悪い意味で、だけれど。

「……私、赤葦に告白されて、」

 言うまい、言うまいと思っていた切り札をこんなにもあっけなく差し出してしまうことになるなんて。浮気性のこの男に比べれば私の裏切りなんて大したことないけれど、彼にも自分の手もとに有るものがするりと落ちていく焦りを味わわせてやりたかった。味わってくれると信じていたのかもしれない。だけど、まるでそれを確認するためだけに引き合いに出してしまった切り札にも、彼は決して私をどこかで安心させるような弱みを見せたりはしてくれなかった。悪意で張りあおうとしたって、勝てるはずがないのだ。

「で? 好きになっちゃった?」

 意地悪な笑みを浮かべながら、アキはわざと腰を屈めるようにしてあやすように問いかけてくる。虚勢を張ったとしても彼を喜ばせるだけだろうと思うと、たじろいで俯くことしかできなくなってしまっていた。

「つかもうヤっちゃったか、お前さみしいとすぐソレだもんな」

 渇いた笑い声が低く響いて、途端に頭にかっと血がのぼる。言葉を返すよりも先に何を思ったか彼をめがけて振り上げた腕を、わなわなと震える拳を、アキは涼しい顔をして片手で受け止めた。力を入れているつもりが、びくともしない。いくら視線を刺したとしても、彼の心臓には切っ先ひとつ届かない。

「……それはそっちでしょ」

 唸っているみたいな、かわいさの欠けらもない声。私の拳を大きな手のひらですっぽり覆いながら、アキが口角を上げる。どこか満足げに、お前をこの手に取りこぼすことなどありえないとでも言うように。

「そ、似た者同士だもんね、俺ら」

 ぱっと拳を解放されて、腕がずるりと脱力する。体育館の中から「集合ーー」と木兎の野太い声が響いてきて、アキがさっきまで私の拳をいなしていた手のひらを引き戸に掛けた。似ているからってそれが一体なんだと言うんだ。そんなの、悲劇的なだけじゃないか。「似た者同士」がくっついてお互いのでこぼこを埋められるはずもなく、それでも合わないピースでなんとか模様を描けているふりをしながら、そうやってずっと恋人を続けてきた。だけど、いくら上手に恋人同士がてきたとしても、似た者同士の二人の恋そのものが今もちゃんと続いているのかどうかはもう、分からない。

「ま、せいぜい仲良くしてみたら? 俺のかわいい後輩と」

 それだけ言うとアキは後ろ手に戸を閉めて体育館へと引っ込んでしまった。捨て台詞みたいなその嫌味な言葉が、あまりにも彼という男にぴたりと嵌っていて、彼だけが彼の場所から一歩も動かずに彼のままで居るということが無性にやるせなかった。彼に届くことのなかった拳を、ひとおもいに体育館の戸に振り下ろす。ガン、と鈍い音と一緒に鈍い痛みがじわりと手の中へしみだして、痛い目をみているのは結局私だけなのだと、心底そう思い知らされた。









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2014.6