Ⅰ two of a kind - 2




 中学のころのアキは良くも悪くも目立つ男の子だった。三年生のとき初めて同じクラスになって、新学期の最初の日から新しいクラスの中心に居た彼に、私は一目で淡い憧れを抱いた。きっと誰だって、多かれ少なかれハッとする。アキはバレー部のエースでスポーツなら何をやらせても得意だったし、勉強はからっきしできなかったけどたとえどんなに他の男子たちとバカ騒ぎをしていても、その涼しげな容姿とすらっとした背の高さのせいかどこか周りとは違う大人びた雰囲気を持ち合わせていた。アキがすれば明るい髪の色も幼い背伸びや反抗には映らず、よく馴染み、教師たちさえやがて納得させてしまう。クラスに一人は居る、ちょっと特別な男の子。それがアキだった。

 彼を好きになってしまうのは、あのころの私にとってはとても自然なことだった。だけど、彼が私を選ぶことの必然は、自分で言うのも悲しいけれどどこに見つけたらいいのか分からなかった。偶然の気まぐれ。そうやって片づけたほうがずっとしっくりくる。あの日、今となってはどうしてバレてしまったのか謎だけれど、「絶対に言わないでね」と言って自ら言いふらしてしまった好意など結局、本人の耳に届いてしまうさだめなのだ。デリカシーの欠けらもないアキの取り巻きの男子が、まだちらほらとクラスメイトたちの残る教室で、「あいつ、アキが好きなんだってよ」と大声で暴露した。クラス中の目が、アキの目が、私を見る、地獄のような一瞬。大して目立ちもしない、かわいげもない、何のとりえもない女生徒の身の程知らずの憧れなど、せいぜい毛嫌いされるか笑われるかして終わるのが普通だったんだろう。そう、それが「普通」だった。でも、アキは、普通じゃなかった。ひとよりちょっとだけ特別で、ひとよりちょっとだけひとの心を弄ぶのが得意な男の子だったから。

「へー、なら付き合っちゃう?」

 二人、十四歳の夏だった。
 一体なんの冗談だろうかと、頭の中が真っ白になったけれど、彼の一言と眼光は私の見せかけだけの秘めた恋心なんかよりもずっと本気で、ずっと生々しく現実の色を宿していた。冗談のように本気をぶつけることのできるひと。一緒に帰ろっか、と言ってアキが私に話し掛ける。ぐい、と引っ張るようにして手と手がつながる。大好きな男の子の手。紛れもないアキの手。あの日のあの軽々しい言葉だけが、それでもたったひとつ、私に許されたアキの純粋だったんだろう。今でもそうやって、信じている。
 あれから私たちは何度、些細な喧嘩を繰り返したか分からない。癇癪を起こして、またくっついて、また言い争って、また仲直りして。どんなにふらふらしていても、アキはいつもなぜか私のもとに戻ってきた。そこにどんな執着があるのか知れないけれど、アキのことだから、共働きの家の女はすぐ家にあげてくれてすぐヤれて気が楽だとか、そんな理由であっても別に不思議じゃない。付き合ってみて分かった。アキは尋常じゃないくらいに嘘つきで、調子がよくて、自分勝手で、そして尋常じゃないくらいさみしがりなのだ。彼のさみしさが私にも伝染する。そして私もつられて、さみしがりになる。彼が私に注ぎこんださみしさが、二人を「似た者同士」につくりかえてしまったのだ。
 まったく、腹が立つ。



 四時間目が終わってすぐ、赤葦から「もし良かったら一緒に昼食べませんか」とメールが届いた。この時期は少し寒いけど、今日は幸い天気が良かったから、正午の陽が降り注いで最上階の踊り場も心地が良い。わざわざロッカーからひざ掛けを取りだして持ってきた私を見ても、赤葦は「足とか寒くないですか」とちょっと心配そうな顔をした。些細な気遣いが私にはとても新鮮で、むずがゆい嬉しさがこみあげてきた。落ちあって二人、踊り場と階段との段差に腰をおろす。赤葦がダッシュで買ってきたという購買のエビピラフの包みをあけると、美味しそうな香りが踊り場にふわりとひろがった。温かいお昼ご飯が羨ましくて、「ひとくち交換しよ」とお弁当の唐揚げをひとつピラフの上に乗せたら、赤葦はまた告白してくれたときに垣間見せたような、優しいほほ笑みをして頷いた。かわいくて、素直で、それだけで胸が切なくなる。

「あの……昨日、大丈夫でしたか」

 プラスチックのスプーンでピラフをすくいながら赤葦は少し遠慮げにそう訪ねた。昨日、ゆきちゃんの大声のおかげで部活前に私とアキの修羅場があったことはバレー部員にはもれなく筒抜けだっただろう。赤葦と目が合ってしまうのがこわくて、彼があのときどんな顔をしていたのかは知れない。軽率な別れ話のあとアキが体育館の中でまた余計なことを言いふらしていたかも分からない。だけど、どの道もう、やましいことは何もないのだ。終わらせたのだ、あっけなく。初めて私のほうからアキじゃない男の子の名前を出して、彼を手放した。それはとても虚しい快感だった。

「仲良くすればー、だって。ほんと腹立つ。切れてせいせいした」
「……そう、ですか」
「それより赤葦こそ、大丈夫なの。あんなのでも、一応同じ部の先輩だし、チームメイトでしょ」

 秋の春高予選が終わって代替わりをしてから、アキは新チームの主力選手としてしれっと勘定に入っているみたいだし、まだ一年生ながら赤葦もいよいよ正セッターだ。だとすると、気まずいだとかなんだとか言っていられないくらいたくさんのコミュニケーションを取らなくちゃならないだろう。もっとも、アキにとってはそんなのどこにも支障はないんだろうけど。
 赤葦は私のあげた唐揚げをひとくちでぺろりとたいらげてしまうと、さっきまで自分の使っていたスプーンを不意に私に寄越した。唐揚げと交換したぶんのお裾分けということだろう。ありがたくピラフの入ったフードパックと一緒にそれを受け取ると、手のひらにぬるい余熱がじわりとひろがった。

「……俺の気持ちはもう、とっくに気づかれてたんで、きっと」

 あのひと本当に、勘が良いから。赤葦がどこか遠くを見るような目をしてそう呟いた。彼の視線の先にはきっと、在りし日の私とアキがいるんだろうと思う。そんな気がした。私は今ここに、ちゃんと君のすぐ隣に腰掛けているのに。

「俺がさんに憧れてるの分かってて、見せつけてたんだと思います」

 赤葦の口調は淡々としていたけれど確信めいた重みがあって、私の知らない心当たりが彼にはたくさんあるのだろうと思わされた。一つ年下とは思えない思慮深い横顔。赤葦だって相当、気のつく子だと思うのだけれど、アキの勘の良さはまたそれとは別のいやらしさがあるのかもしれない。私がまったく気づいてあげられていなかった彼の好意を、あの傍若無人なアキのほうが目ざとく勘づいていたのかと思うと、なんだか気まずいような、赤葦に対して申し訳ないような気さえした。どうして赤葦は私みたいなのを、自分の憧れの中へと引き入れてしまったのだろう。夢を見る余地なんてどこにもないだろうに。流れに任せて聞いてみたいけど、やっぱりこわくて聞いてみたくないような気もする。アキに見せつけられていたから? そんな私をかわいそうだと思ったから? それとも……。胸がつかえてしまって、せっかく彼がお裾分けしてくれた温かいピラフの味もちゃんと分からない。ただ喉を通りすぎるだけで、風邪っ引きの食事みたいに味気なかった。

「じゃあ、見せつけ返しちゃう?」

 プラスチックのスプーンを置いて、お弁当箱も置いて、彼の膝の上に無防備に乗せられていた大きな右手に手を触れる。赤葦の手の甲がぴくりと反応してかすかに跳ねるのが、どうしようもなく愛しく思えて、愛しいと思う誰かがアキじゃない男の子なのだということが、とても不思議で。赤葦は私の些細ないたずらを即座に拒絶するような素振りはしなかったけれど、それでもちょっと困ったように視線を泳がせてから、やんわりと私の手を左の手で包みこむようにして膝の上からおろしてしまった。

「それは嫌です」
「えー、なんでよ」
「なんでって……それが普通ですよ」
「普通……」

 十四歳の夏の日にアキと付き合うようになってから、私はずっとアキのことしか知らなかった。アキが普通とはちょっとずれた男の子だということは、付き合う前から分かっていたつもりでいたけど、付き合ってみてなおのこと彼の「普通」が私の「普通」とは全く違うのだということを思い知らされた。アキはちっとも遠慮せず、ちっとも恥ずかしがらず、ちっとも悪びれずに私に触れる。自分がしたいときに、こちらの都合なんてお構いなしにそうするのだ。それが、そうやって求めてくれることや、その求めに応じることが、愛しいということなのだと酔っていたときもある。互いに溺れていた日々もある。こんなの普通じゃない。おかしい。本当はそうやってずっと誰かに、叱ってもらいたかった。

「好きでも、我慢するのが普通?」

 赤葦の濃いグレーのセーターの裾を掴んで、純粋なふりをして誘うように彼の目を見上げてみると、彼はその意味を悟ってか、瞳の奥の光をほのかに揺らしてからゆっくりと首を横に振った。一番上のボタンだけを開けていたシャツの襟もとに、彼の右の人差し指が不意に引っ掛けられる。そして軽く指先でシャツごと引き寄せられたかと思うと、赤葦の少し緊張しているかのような表情が首の角度を変えて近づいてきた。冷静なふりして、甘えられると弱いところ。感情の抑えが利かなくなると存外、大胆に振る舞うところ。赤葦の、男の子なところだ。唇を塞がれたままさりげなく腕を腰に回されれば、新鮮なこそばゆさと心地良さに少しだけ涙が滲んだ。惜しむように唇と唇とを離したとき、だらしなく水の溜まった目頭に気づかれていなければいいのだけれど。

「……好きなら、独り占めしたいのが普通です」

 唇がまた触れてしまいそうな距離で口説くみたいに囁かれると、赤葦のつややかな声が耳を通してではなく、半開きのままの口を通して流れこんでいくような気がした。赤葦の手が私の頬を撫でる。彼の愛撫の、癖なのかもしれない。一体どんな経験を通して、彼は異性の頬に触れる癖を身につけてきたんだろう。気になる、と言えば教えてくれるんだろうか。嘘つきで、適当なことばかり言うアキとは違って、なんでも正直に、なんでも話せる二人に、赤葦とならいつかなれるのかな。いつくるとも分からないいつかに想いが飛ばされていく。思考の糸は弛みきって、今の私の頭の中には現実をつかまえておくだけの緻密な糸がまったく張り巡らされていないのだった。

「ピラフの味がしたね」
「すみません……いきなり」
「ううん、嬉しい」

 頬を覆う手のひらにこっちから擦り寄るようにして首を揺らすと、赤葦の頭の中からもぷつりぷつりと張り詰めていた糸が次々にほどけていくのがよく分かった。頼りなげに揺れる糸の先を互いに持て余しながら、目と目が合う。赤葦の笑みはかすかなものだったけれど、そこにはちゃんと誰にも似てない彼だけの憧れがひろがっていた。

「俺は誰にも見せたくないです、さんとのこと」

 今日、私は赤葦に彼の「普通」を教えてもらった。持て余した感情を、決して無暗に口にしてはならないこと。そしてこの気持ちは秘めるほどに、雄弁に恋しさを語るのだということを。









←backtopnext→

2014.6