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 は決して均整のとれた顔立ちの美人ではなかったが、ひっきりなしでデートのお誘いを受けるような女の子だった。何がホグワーツの男の子達を惹きつけるのか――例えば静かに流れるダークブラウンの髪、可憐そのものの細く長い手足、柔らかで芯のある話し方、そして甘く輝く瞳の魔力。全てがほんの少し物珍しく、かといって手が届かないというほど遠くもない。の立ち居振る舞いは一見とても無防備で、すぐに手に入ってしまいそうな安易な誘惑に満ちていた。ぐっと引き寄せれば、すぐに腕の中へ収まってしまいそうなか弱さ。そのしなやかな虚像。もっとも、本当の彼女は上っ面だけで微笑みながら胸の奥でデートに誘ってくる男子生徒を吟味し、「あのひとのローブって皺だらけであり得ない」だとか「こんなにおどおどしちゃって、何語を喋ってるのかも分かんないわ」だとか思い、自分なりの価値観で男の子に「ケチ」をつけることを知っていたのだが。つまり彼女は、ごくごく普通の女の子らしい女の子だった。

 ある冬の日の昼下がり。かれこれ十数分ほど、彼女は所属寮であるレイブンクローの談話室でソファのクッションをひっくり返したりテーブルの下を覗いてみたりカーペットに延々と手のひらを沿わせてみたりしていた。
 ない、ない、どこにもない。朝起きていつもの場所に無いのを確認してから、鞄、ポケット、ベッドの下、机の中、シャワー室、階段、そしてこの談話室とくまなく探しているが、どこをどうかき回してみても探し物は見つからなかった。せかせかと固執するのが嫌いなタチの少女は、たいていのものならばとっくに探すのを諦めていただろう。たとえそれがスネイプの魔法薬学のレポートだったとしても。だけれどこればかりは。彼女はほとほと疲れきり、盛大な溜息を吐いてついに暖炉の前にへたり込んだ。

、どうしたの? そろそろ行かないと間に合わないよ」

 取り澄ましたような不自然に優しい声がして、のろのろと顔を上げる。ステビンズだった。濃い眉はいつでも自信ありげに釣り上がっていて、たいがいは余裕ぶった笑みを浮かべている。彼はソファの上に投げ出してあったの鞄を手に取り、促すように彼女に差し出した。

「ステビンズ、ごめんなさい。先に行っていて」
「何を探してるんだい?」

 瞬間、は口籠り、今のこの状況について彼に説明しようかしまいか少し迷った。なんだか、言っても無駄な気がするのよね。結局は自分本位のひとだから、恋する憐れみも愚かさも滑稽も何も持ち合わせていないだろう。こういう冷たさには魅力を感じない、一ミリでもいいから本当の温かみがあってこそなのに。はそんな幻滅はおくびにも出さず心の中だけでぶつぶつと呟いた。だから彼が彼女の目を捉えたとき、その瞳はただただ弱々しく微笑んでいるだけだった。

「その……、ペンダントよ。高価なものではないけど」
「ああ、君がいつもしてる? ロケット型の」

 ひどく間延びした口調は、まるでアフタヌーンティーを楽しむよう。ステビンズは優雅な仕草でローブを翻し、彼女の正面にそっと跪く。まるでナイトのよう、とはいかないけれど。

「誰かの写真でも入れてるのかな」

 勿論、あなたよ、とそう言われるのを待っているかのような口ぶり。その思い違いの甚だしさには声も出なかった。

 実を言うとはただの一度もステビンズに焦がれたことはなかったし、彼と居て苦痛を感じないまでにしても、そろそろ飽きていることは確かだった。一度や二度それらしい雰囲気になってキスをしたことはあったけれど、逆に言えばそれからだ。彼に飽きはじめたのも。だってほんのちょっと唇を重ねたってだけなのに、彼ときたらそれ以来常に、四六時中、彼女にそれ以上のものを期待しているという下心でいっぱいなのだ。打算的でつまらぬ欲望が表情に沁みついて離れなくなってしまっている。もともとは栗色のふわふわした髪も深いダークブラウンの瞳も、しゅっと尖った顎のラインもなかなか好ましいものだったのに、そのそこはかとなくいやらしい表情で全てが台無しだ。性は予感しても、期待するものじゃないというのに。

 曖昧にはにかんで俯けば恥じらっているように思ってくれるかしら。こんなふうにひとを惹きつけるためではなくただその場をしのぐために心を砕くのは、とてもつまらぬことだ。はこの関係もそう長くはないだろうと感じた。



 廊下を伝って香ばしいプディングの匂いが漂ってきている。夕食までの時間を使って、は図書館へ向かうことにした。借りたい本があったわけでも、レポートを書かねばならないわけでもなかったが、探し物が見つかるとすればもうここしかないと踏んだのだ。いくつもの本棚と細い通路を抜けて、奥へ奥へと突き進んでいく。奥の奥の、そのまた奥、中二階につながる螺旋階段を上ってさらに奥、魔法史の分厚い年鑑とか魔法省が発行する統計の資料なんかがずらっと並んでいる埃臭い一角が彼女のお気に入りの場所だった。なぜなら滅多なことでもない限りここにひとが来ることはなかったし、この通路の脇には小さなテーブルがあって、彼女はそこで宿題を片付けるのが好きだったのだ。勉強に行き詰まると狭い通路を行ったり来たりして、時折なんの気なしに年表を手にとって眺めることもあった。落とすとしたら、ここよね。彼女は談話室でもしたように、腰を落としてくまなく床に目を凝らしたり、思い出せる限り手にした本を逆さにしてみたり、本棚の隙間を覗きこんだりした。藁をも掴む思いだった。

「何かお困りですかな、お嬢さん」

 薄暗い奥まった通路に鋭い陽光が差したような、明るい声の針に、彼女の肩は盛大に跳ね上がった。振り返ると、長めに切り揃えられた珍しい赤毛、そこに居るだけで場が華やぐようなその眩しさが、の目に飛び込んできた。

「まあ、フレッド!」
「素晴らしく驚いてくれるね」

 左腕で本棚にもたれかかりながら、フレッドはにこりと愛想良く笑う。背の高いフレッドは自身の影で彼女をすっぽりと覆っていた。はというと突然声を掛けられた驚きで一時的に不安という感情を忘れてしまった。

「どうしてこんなところに?」
「ちょっと調べ物をね。そしたらが通路を歩いていくのが見えたんだ」

 あら、あなたが調べ物だなんて。思わずがそう口走ってしまうと、フレッドはすまし顔でいかにも白々しく、「我々の研究に役立つ本はごまんとあるのですぞ」とのたまった。その調子の良さに彼女はくすりと笑わずにはいられない。この間、図書館に行く途中で彼と擦れ違ったときなんて、「図書館で勉強するなんてよく気がイカれないな」とかなんとか言っていたのに。それに研究って、まったく、今度はどんな事を企んでいるのかしら。さりげなくフレッドが彼女との距離を縮めたので、はぴんと背筋を伸ばして彼を見上げた。その視線の刃が彼の網膜を突き抜けて魂にまで及ぶ甘い傷をつくってしまうことを、彼女はまだ知らなかった。

「君が何かを探しているように見えたけど?」

 フレッドは心配そうに首を傾いで、を覗き込むようにした。は、今度は迷いも躊躇いもしなかった。フレッドにはなんの躊躇もなく困りきった今の状況を吐露することが出来たのだ。きっと彼の放つ面倒見の良い、説得力のある雰囲気がひとの心を不思議と開かせてしまうのだと、彼女は思った。大事なペンダントを失くしてしまったこと。一日中必死に探しまわっていること。それなのにどこを探しても見つからないこと。だけどこれは絶対に諦められない、でもこれ以上どうすればいいか分からない、などなど。言えば言うほど惨めな気分になってきたが、それでもなんとか言い終えてフレッドの顔を再び見据えると、思いがけず険しい表情で眉を顰めているフレッドの表情とかち合ったので、は「どうしたの?」と尋ねざるを得なかった。

「ペンダント? 無い?」

 フレッドは何かを思案するように目線を逸らして腕を組んでいた。彼女は今の、他人にとっては恐らくあまりにありふれたささやかな不幸話の中に、一体彼をそこまで考え込ませるものがあっただろうかと訝しんだ。

「それってもしや、高い? ……あー、いや、何か特別で……貴重とか?」

 思いがけない質問に頭が上手に回転しない……高価とか貴重とか……ああ、彼は、盗まれたと思っているのだろうか? そんなまさか。

「いいえ、ただの古臭いアンティークで……。ずっと小さいころから首につけていて……それで、中には家族写真が……」

 しどろもどろになりながらは一生懸命に答えた。彼女は誰かが故意に盗んだなどとは全く考えていなかったから、どうせいつもの自分のポカだろうと自身の行動範囲しか探してこなかった。だけれど盗難被害となれば訳が違う。今度はもはや当てずっぽうに行動していては埒があかない。それに彼女がペンダントを外すときは限られていて、その隙を狙える人間は更に限られている。それは不幸にも同寮の友人を疑うということにもなり兼ねない。こんな厄介な事態を目の前にして、論理を組み立てるなど出来ようか。ああ、哀しきかなレイブンクロー。知性も不都合な真実の前には役立つことをおそれてしまうのだ。
 いまやの頭の中にはもやもやした薄暗い不安がいっぱいにたちこめていたが、そんな彼女をよそにフレッドは意外にも落ち着いていて、いや半ば今にも泣き出しそうな彼女そっちのけで(普段のフレッドであれば慰めの言葉を一つや二つ呟いていただろうに)、険しい顔で何かに思いを巡らしているふうだった。はそんなフレッドを見てぱちくりと目を瞬かせる。――あら、彼の真剣な顔ってとっても素敵だわ。なんて、場違いなことを頭の隅に思い浮かべながら。

「フレッド?」

 がその名前を遠慮げに呼ぶと、呼ばれた主ははっと顔を上げ、バツか悪そうに髪を掻いてはにかんだ。そして取り繕うように、励ますように、彼女の左腕をぽんぽんと優しく叩いた。

「お嬢さん、案じるなかれ。俺も探すよ。絶対どこかにある筈だ」

 それだけ言うとフレッドは「ジョージを入口で待たせているから」とに断り、するりと滑るように螺旋階段を下りていってしまった。









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