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「ウィーズリー、席を移動なさい」
変身術のマクゴナガル教授は半ば呆れ果てた様子で、両の目がしらを指で押さえながら溜息をついた。ちょうどフレッド・ウィーズリーの唱えた呪文がまたひとつ、ゴブレットを黄金のカナリヤに変化させたところだった。その日の課題はガラスのゴブレットを白いハトに変えるというものだったが、クラス中の誰もゴブレットをハトに変えられていない内から、ウィーズリーの双子が次々にゴブレットをカナリヤに変えてしまっていたのだ。彼らの隣の席の一人が笑い、さらにその隣が笑い、ささやかな可笑しさが教室中に充満していく。マクゴナガルはそんなクラスを見兼ねてか、「静かに!」と厳しく言い放ち、二人の机の上でさえずるカナリヤたちを杖ひとふりでゴブレットに戻してしまった。
「あなた方は顔を突き合わせているとカナリヤのことしか考えられないようですね」
「だけど、ハトと大した違いはないですよね? あー…、理論的には」
ジョージ・ウィーズリーがとんとん、とノートに取った複雑な図式を指さして「なあ?」と同じ顔をしたもう一人に声を掛けた。
「ああ、全くだ。ちょっとばかし悪目立ちする以外はそっくりだな」
二人の前に座っていたグリフィンドールの女生徒が耐えきれずに吹き出した。フレッドは自分の足元にちらりと目を遣る。机の下に舞い落ちているカナリヤの羽はドギツイ黄色を宿していて、お世辞にも「ちょっとばかし」の悪目立ちで済んでいるとは言い難いものだった。つまり、大成功だ。
「お黙りなさい」
マクゴナガルの声は氷のように冷たかった。こうなってしまうとさすがのフレッドとジョージも肩をすくめるしかない。マクゴナガル教授の後方で、悪戯仲間のリー・ジョーダンがにやにや笑いながら二人を茶化す素振りをしていた。
「さあ、フレッド・ウィーズリー、今すぐ移動です。レイブンクローの隣にでも座ったらどうです?」
これにはレイブンクローの女子生徒たちもくすくすと笑ったが、マクゴナガルが被せるように一度手を鳴らしたので、再び教室中で呪文の連呼が始まった。レディの好奇心の内に組み込まれるってのは、かなり気持ちの良いことだ――双子は内心そんなことしか考えておらず、その顔に反省の色などさらさらなかったが、ご指名を受けてしまったフレッドのほうはようやっと机の上の荷物をかき集め気だるげに席を立った。水曜午前の二限続きの変身術はグリフィンドールとレイブンクローの合同授業で、教室は生徒達でぎっしりと埋まっていた。はてさてマクゴナガル女史は一体どこに座れと言ったのか。野郎と野郎の間に入るのだけは御免被りたいものだ。
「フレッド、・の隣が空いてるわ」
斜め前の席に座っていた同寮のアリシア・スピネットが振り返って囁いた。彼女の指さす先には、なるほど、一人の女生徒が座っていて隣が空席になっている机があった。フレッドは呪文を叫びながら杖を振りまわす生徒達の間をすり抜け、窓際の前から二番目のその机へと向かった。
「ここ空いてるかな?」
フレッドが声を掛けると少女はぱっと顔を上げた。
「ええ、どうぞ」
「ありがとう。えーと、?」
大きな黒い瞳がフレッドの両眼をじっと見詰め、捉え、ゆっくりと弓なりにしなった。瞬間――文字通り一目でフレッドは彼女のことを気に入ってしまった! その雨粒に濡れたような眼差しは勿論、ダークブラウンの長い髪、まだあどけなさを残した繊細な顔立ち、薔薇色のふっくらした唇、スノウホワイトのきめ細やかな肌が、流星の如くきらきらと彼の胸の内に飛び込んできたのだ。
「どういたしまして、フレッド」
彼女はフレッドが自分の名前を知っていたことにとても驚いた様子で、恥じらいながら微笑んだ。彼女の声は小さかったが、とても澄んでいて、背筋をむずむずと疼かせるような甘い響きがあった。ああどうして今まで、こんなかわい子ちゃんのことを知らずに過ごしていたんだろう。出会いは突然、幸運は夏風邪のように前触れなく襲ってくる。フレッドの貪欲な興味は、大抵の場合留まることを知らなかった。彼はしばらく自分のゴブレットなどそっちのけで、隣に座る・の横顔をちらちらと盗み見た。彼女が呪文を唱えると、決まってゴブレットの形を残したままの奇妙な白いハトが現れる。そのたびに彼女は自分の為した所業に驚いたり、呆れたり、くすっと笑ったりした。
やがて唐突に口を開いたのはの方だった。
「さっきのカナリヤ、面白かったわ」
呪文が飛び交う中でもよく透るその声は彼の耳に真っ直ぐ届いた。フレッドはいきなりの事に少しばかり頬を赤らめたが、得意げなニヤリ顔を抑えることは出来なかった。
「気に入った?」
「すごく」
「そりゃ光栄。あれくらいならいつでもやってあげるよ」
が「まあ」と眼をきらきらさせて笑った。
「あなたってとても才能のある人ね」
一体どうやるの? 無邪気にそう尋ねられ、フレッドは胸をきつく締めあげられるような心地を覚えながら、必ず彼女を自分のものにしてみせようと決心したのだった。
それからフレッドは得意になってまた一羽カナリヤを出現させてしまい、とうとうマクゴナガル教授から減点を食らってしまった。こんなふうに授業中に可愛らしい女子生徒と視線を合わせたり、言葉を交わしたりすることで、炎よろしく高鳴る心を燃え上がらせてしまった男子生徒は、ホグワーツ千年の歴史において一体どのくらい居ただろうか。きっと夜空の星を数えたほうがまだ楽に違いない。フレッド・ウィーズリーもまた、この瞬間、輝く星々のひとつにその名を連ねたのだ。その燃えさかる想いを、一等星にして。
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あの出会いからまだたったの三週間。感傷に浸って思い出を愛でるにはまだまだ早いし、フレッドはもちろんそんなことをする性分ではなかった。ただ前進している。駆け出している。きたるクリスマスのために、玄関ホールには荘厳なクリスマスツリーが立ち、きらびやかなリースの飾り付けが施され、ゴールドとグリーンを基調にした鮮やかな絨毯が敷き詰められていたが、フレッドは豪華絢爛な装飾たちには目もくれない。一心に見上げていたのは、吹き抜けになった天井の、煌めくシャンデリアの周りをふわふわと飛んでいるスケルトンの小男。金銀の紙吹雪を降らせて、クリスマスソングのつもりかよく分からないメロディーを甲高い声で歌っている。
「ピーブズ!」
フレッドはありったけの声を張り上げた。その声はピーブズ本人にはおろか今しがたフレッドが飛び出してきた大広間にも充分に響き渡ったに違いない。後を追って広間から出てきたジョージも、そのあまりの大音量に両手で耳を塞いだ。
「ピーブズ! 降りて来い!」
あの天邪鬼で性悪なポルターガイストがそう簡単に命令に従うわけがない。ピーブズは残りの紙吹雪を全て散らし終わると、ひゃっひゃっひゃと気味悪い笑い声を響かせて高い天井の向こうへと消えてしまった。
「あんの、コソ泥……」
頭や肩に付着した紙吹雪を払いながら、フレッドが憤然として呟いた。やっと彼の隣に追いついたジョージは、やれやれと肩を落とし、ピーブズの消えていった天井を見上げた。もう三日間ほどずっとこの調子だ。フレッドもジョージもピーブズを見つければしつこくつけ回してどうにか件の疑惑について問いただそうと試みているのだが、いかんせん相手は壁を突き抜け自由自在に逃げおおせてしまう。誰も彼もピーブズにこそつけ回されないよう極力彼を避けて生活しているのに、双子が積極的に彼を見つけては猛ダッシュするので、そのたびに周囲の生徒達は不思議そうに首を傾げた。
玄関ホールの天窓に真白の雪が降り積もっているのが見える。この冬最初の雪が降ったということは、今年最後のホグズミード行きがもう今週末に迫っているということだ。ホグワーツはクリスマスムード一色で、毎年恒例のふわふわと浮き足立った雰囲気に包まれていた。女子生徒は色めきだち、男子生徒は気を引こうと必死になる。そんな中で俺たちだけピーブズに構おうとしているなんて、かなり悲惨だ。ジョージは深い溜息を吐いた。
「正攻法じゃ無理だ」
「ならどうするんだよ」
「現行犯、もしくは証拠。お前の推理が正しけりゃ、あいつは隠し持ってる筈さ。なんならそれを奪い返す」
「ああ、そう、至極簡単な話だな」
つまりお手上げってことだ。フレッドはぶっきらぼうに吐き捨てた。確かに打つ手はこれ以上何も無いように思われた。ゴースト達に聞き込みをしてみても誰もピーブズの異変に気付いていなかったから無駄だったし、青い薔薇もペンダントもあれからなんの情報もなくとんと行方知らずのままだ(ピーブズのズボンのポケットでも裏返せば出てくるんじゃないかと二人は疑っていた)。それにフレッドにとっては正直もはやピーブズの弱みとか恋とかそんなものはどうでも良かった。ただ彼女のペンダントさえ見つかれば、それで最高なのに。そうすれば何もかもが素晴らしく上手くいく気がするのに。目的も欲望も簡単にねじ曲がる。なるほど、恋とはまさに偉大な過ちだ。
――せっかくだけど、私、行けないわ
――どうして? 君、最近おかしいよ
――そんなことない。いつも通りよ。私がおかしいんだとしたら、私はずっとそうなんだわ
――そんなこと言ってないじゃないか!
突然、意気消沈している二人に男女の言い争う声が聞こえてきたので、フレッドとジョージは同時に振り返った。声の主は大広間から足早に出てきたステビンズとだった。フレッドはすぐさま口を開いたが、彼が声を掛ける前には脇目もふらず走り去ってしまった。そして、最悪なことに、フレッドは取り残されたステビンズとばっちり眼が合ってしまったのだ。実を言うと彼らは一度も言葉を交わしたことが無かった。けれどもステビンズはフレッドのことを知っていたし、フレッドもステビンズのことを知っていた。もっとも、ステビンズがフレッドとジョージを識別できているかどうかは定かではないが。
「やあ、ステビンズ」
妙に柔らかな笑顔でフレッドが挨拶すると、ステビンズは疑わしそうに眉を顰めた。探るような目つきでフレッドとジョージを交互に見詰めている。
「麗しのレディを追いかけなくてもいいのかい?」
ジョージがの走り去ったほうに顎をしゃくり、冷やかすような口ぶりで言った。ステビンズはたちまち熟れたリンゴの如く頬を真っ赤にした。
「何の用だ?」
「まあ確実に、お前に用は無かったさ」
心底残念そうな口ぶりでフレッドが呟き、極めつけに「お生憎様」と絶妙なタイミングでジョージが決定打を放った。本当に――双子は悪戯を仕掛けることは勿論、人を苛立たせることに関しても天下一品の腕前だった。ステビンズは怒りと恥ずかしさにわなわな震え、それ以上何も言わずに大股でそこを立ち去ってしまった。これくらいのことで切り返せなくなるなんて次期首席の頭脳も嘆かわしい。そんな単純だからお姫さんに逃げられちまうんだよ。フレッドは今や図らずも盗み聞きしてしまった二言三言の会話で全てを理解していた。は断ったのだ。何かを。何か? いや、もう分かる。全てが明瞭だ。ジョージが意味ありげにフレッドの肩を小突いた。眼が合い、二人は同時に口角を上げる。
相棒、お前の番だ。
分かってるさブラザー。俺は上手くやる。