※ モブがでっぱります|捏造過多




 テレビのなかのスーパースターはいつもどこかうつろな目をして、飢えたまなざしをあてどもなく、遠いところへと向けていた。
 あらゆるものを広く深く見通す才能をもっていても、彼がほんとうにその眼に焼きつけたいものなんて、この世にひとつもないのかもしれない。誰からも理解されないものを、彼だけが探し続けている。なんの縁もなく、はるかな隔たりがあるようで、断ち切れない糸に絡めとられ、偶然が引き寄せた距離は近い。厄介なものを抱えている。出会う前からずっと。だからきっと、わたしには彼がそう見えるのだ。求められることよりも求めることに執着するような、彼のうつろな目の奥に、けっして深入りしないように。

 ――これだけ大人気だと、女の子に困ったことなんてないでしょう。
 ――いやいや困ってますよ、つねに。
 ――なるほど、選りどりみどりで困ってると。
 ――はっは。なんスかこの会話。恋人募集中のテロップでも出します?

 下向きの人差し指でテロップをなぞるようなジェスチャーをして、彼はどっとスタジオを沸かせる。
 お昼のローカル番組の無意味さが徹夜明けの疲れた頭には心地いい。二個目のコンビニのおにぎりを頬張りながら、わたしは休憩室のテレビを見るでもなく聞くでもなくぼうっと眺めていた。福岡出身のお笑い芸人が司会をする三十分のトークショー。今や全国区の「顔」となったスーパーヒーローを迎えるには、ややこじんまりとしたつくりの収録番組ではあったけれど、どんなに出世しても自分の縄張りに気を配るのは政治家もヒーローも同じことだ。とくに彼の場合、そういう気さくで飾らない態度が「売り」でもある。そして、そんな彼の気質のおこぼれに、わたしたちも与っているというわけだ。

「ああは言ってるけど、実際どうなのかねえ、こっちのほうは」

 おにぎりを飲みこんで、テレビから視線をはずすと、向かいの席に座っていた窪山さんが、ばさりと今日付けのとあるスポーツ新聞をわたしに差し向けた。プロヒーローのプライベートをすっぱ抜くことで悪名高いそのタブロイドが、今日、一面に採用したのは他でもない。「独占スクープ」という派手な見出しをまるで相合傘のようにして、今をときめく男女の写真が並んでいる。つい先月、下半期のビルボードチャートが発表されて、直後には市内でビルが半壊する大立ち回りがあったばかりだというのに、相変わらず騒がしいというか、なんというか。
 ほんとうかどうかなんて二の次で、世間の興味をかきたてることが何よりの目的。写真一枚、証言ひとつから、いくらでも物語は引きだせる。そういう仕事の仕方もあるのだろうし、需要があるのなら否定はしないけれど、かといって地元の信用が第一の中堅新聞社にはやろうと思ってもできることじゃない。窪山さんはつまらなそうに頭を掻いて、もう何度も読んだはずの活字に目を落とした。

「ついに我らがホークスも初ロマンスですか。東京のモデルさんはきれいかね~」
「窪山さんなら本人から聞きだせるんじゃないですか」
「俺をそんなに買いかぶらんで。いーっつも、気づくと美味い飯屋の話とかしちゃってんの」

 いいように煙に巻かれとうのかねえ……とぼやく先輩の声を適当に聞き流しながら、わたしはおにぎりの残りを喉に押しこんだ。記事にできるかどうかは別にして、事前に彼の情報を仕入れられなかったことに先輩は少し落ちこんでいるようだ。だけど、肩を落としてばかりはいられない。手持ちの記事の出稿が済んでひと段落したけれど、また次の締め切りまでのカウントダウンがすぐに始まる。日常は立ち止まってくれないので、わたしたちも無理やり心を引っぱって急き立てて走るしかないのだ。
 テレビのなかでは渦中の男が飄々と話を続けている。速すぎる男――一体誰が名づけの親なのか、あるいは時代がその名を与えたのか、人々は賛辞をこめて彼をそう呼ぶ。この男のスピードに、置いて行かれないように。しがみつけ。この忙しない仕事に就いてからずっと、彼と対峙するときは、そんな張りつめた焦燥感が、いつも胸にたちこめるのだった。



 四月のわたしは憂うつな気持ちをひきずったまま、とにかく、与えられた仕事を覚えることに必死だった。
 大学を卒業して、四年ぶりに戻ってきた地元、福岡の街。こっちの新聞社に拾ってもらえたのは幸運だったけれど、本来目指していた東京の出版社や通信社にはピンからキリまでことごとく落とされて、そのときのわたしはすっかり自信を失っていた。ちゃんが帰ってきてくれて嬉しいよ、と心からそう言ってくれる両親の存在だけが、わたしの慰めだった。
 わたしが地元を離れている四年間、この街いちばんの変化といえば、ひとりの若手ヒーローの出現に違いない。福岡の人々にとって、彼はスターであり、同時に身内でもあった。全国での人気とは少し質が違うのだ。そしてその親しみやすいスター像をつくっているのは、なんといっても地元の彼びいきの報道だった。
 
「ホークスはなかなか賢い男だよ、あの若さでマスコミを手懐けるすべを心得てる。こっちの記者を味方につけておいて、いざってときのために日ごろからあるていど情報をコントロールしているんだ。ま、地元を優先してくれるのはこっちも有り難いから、ウィンウィンってやつだな」

 週に一度、ホークス事務所には地元の新聞社、出版社、地方支局の記者たちが出入りする。先輩に連れられて訪ねたその取材の場が、わたしにとって初めての現場体験だった。
 わたしにこの仕事のいろはを教えてくれた先輩は、窪山さんと言って、デビュー前からホークスに目をつけ、彼を追い続けているひとだった。駆け出しのヒーローだったころのホークスをペンの力で支えたのだ。その慧眼と行動力が奏して、若干二十七歳にして社内ではよく「エース」と呼ばれている。個別取材の延長で、ホークスと二人で飲みに行くこともあるのだという。歳が近い者どうし、きっと気が合うのだろう。

「ああ、ようやく帰ってきたぞ」

 集まっていた記者のうちの誰かがそう言った。事務所のエントランスに溜まっていた取材陣がいっせいに動きだす。着いてこい、と肩を指で叩かれ、わたしも駆け足で先輩の背中を追った。自動ドアに嵌めこまれた擦りガラスの奥、ひらりと何かが柔らかく、炎のように赤くひらめく。あ、と思ったときにはもうドアがひらいて、少しぎょっとするような速さで、彼は記者たちの群れのなかを颯爽と通り抜けていった。
 ウィングヒーロー・ホークス――その名の通り、みごとな翼を持つ男だ。初めて間近で見る彼の姿に、わたしは息を呑んだ。威風堂々たる紅の翼が、彼が歩をすすめるたび、呼吸するようにしなやかにうごめく。ほんのりと透けた風切羽の緋色が、まるでつくりもののように繊細な造形をしていて、その一枚一枚に彼の神経が通っているのかと思うと、何かふしぎな感動さえ覚えた。この緻密な羽根は、けっして人工的な芸術品ではない。こんなに美しいものに、すべて、彼は彼の命を吹きこんでいるのだ。
 わたしが圧倒されているうちに、窪山さんはさっさとホークスの真横につけていた。おつかれさまです、と彼が言うと、一斉にその言葉が群れを駆け巡り、わたしも気づくと同じように口走っていた。喉の奥で。

「おつかれさまです」
「おつかれさまです、ホークス」
「はいはい、どーも。ごめんなさいね遅くなって」

 片手を軽くあげて、彼は記者たちの挨拶に応えた。あっという間にエントランスを抜け、正面の階段をざくざくとのぼってゆく。吹き抜けを飛んでいくこともできるだろうが、彼が地上を歩いているということは、もうすでに取材が始まっているのだ。この速さで移動していても、一応、足並みを揃えているということらしい。彼にしてみれば、そうなのだ。

「今朝はサイドキックの皆さんとどちらへ?」
「繁華街中心に見回りです。近ごろ何かと物騒ですからね。あ、予定押してるんで今日は巻きで」
「また何か県警から情報が入ってるんですね」
「どうでしょうね。軽い噂ていどですよ」
「完庭那の通り魔事件の続報ですか」
「ホークス、その件で連盟からのチームアップ要請を断ったそうですが……」

 めまぐるしい一問一答の応酬。聞き洩らして焦り、焦ると余計に何も頭に入ってこなくなる。
 事務所の二階にあがるとすぐ、彼のサイドキックがひとり、応接用の部屋のドアを開けて待ち構えていた。廊下に面した壁はガラス張りで、室内にはひとつの場を囲むようにソファや椅子などが置かれている。ホークスはいちばん奥の、革張りのアームチェアに迷いなく腰をおろした。背もたれが腰のあたりまでしかなく、翼の邪魔をしないようになっている。きっと、特注品だろう。

「うん。ま、みなさんも座って。俺、コーヒー飲むけどいかが?」
「いただきます」
「いつもありがとうございます」

 ぞろぞろと慣れた様子で記者たちが応接室に吸いこまれていく。歩く速度にも、質疑の速度にも追いつけず、わたしは完全に出遅れていた。窪山さんのとなりの席、座っていいものだろうか。新顔のわたしが、あんなにホークスの近くに。すでに出来上がっていた空気に分け入っていくことに怯んで、気づけばわたしは部屋のドア付近に立ち尽くしていた。

「そちらの記者さん、座らないの?」

 そんなわたしにまっさきに声を掛けたのは、誰でもない、ホークスそのひとだった。気のつくひと。まるでほんとうの鷹のように視野が広く、抜け目のないひと。
 彼の一声で、そのとき場の視線がすべて、わたしに向かってなびいた。びっくりして、ますます委縮してしまう。ほんとうに、今になって思うと、かえすがえす情けない。何も言えないわたしの代わりに、ホークスのそばに座っていた窪山さんが、身を乗りだして彼にわたしの紹介をしてくれた。

「今年採ったウチの新人です。研修中なのでお気遣いなく」
「クボさんとこの? じゃあ警戒しないとね」

 けろりとしたホークスのその一言で、その場にいた誰もがどっと笑う。わたし以外、みんな。緊張がほぐれるたぐいのものではなく、むしろ疎外感を強めるような笑い声の波だ。肘掛けにあずけた腕で頬杖をつきながら、ホークスはゆったりと足を組み替えた。そのはずみに、ほのかにひらいた赤い翼。まるで、手招きしているかのよう。

「こっち来てどーぞ。そんなとこ立ってたら話もろくに聞こえないでしょ」
「あ、いえ、でも……ここで結構です」
「なんで? 俺の取材に来たんだろ」

 そう言って、彼は片手で薄く色の入ったワンレンズを持ち上げた。普段は隠されている涼しい目もとがあらわれる。彼は不敵で、サングラスをはずしてもその奥にさらに何かを隠しているような、含みのある眼を持っていた。
 時間ないから早く、と窪山さんに咎めたてるように急かされて、わたしはようやく彼のとなりの席へと駆けこんだ。案の定、矢継ぎ早に飛びかう情報をろくにさばくこともできず、ただただ翻弄されるばかりで、わたしの存在は場違いというほかなかった。ときおり耳に流れこんでくる「公安のたれこみ」とか、「政府の方針」という大仰なワードの数々。このひとはやはり、一地方都市に収まるようなヒーローじゃない。あらためて、そんなことを思い知るひとときだった。

「新人さん、お名前は」

 取材の場がおひらきになってすぐ、ホークスはまたわたしに声をかけた。本来なら自分から挨拶をしなくてはならないところを、先手をとられ、びくりと肩が跳ねあがってしまう。慌てて名刺を取りだして、わたしはアームチェアに座る彼に頭を下げた。

「筑紫日報のと申します。よろしくお願いします。……あの、先ほどは失礼しました」

 過ぎたことの詫びなどまったくどうでもいいようで、彼はわたしの名刺を受けとると、照明にかざすようにそれを指先でつまみあげた。なんの変哲もない手のひらサイズの白い紙片。それを数秒のうちに眺めながら、ちらりと、彼はわたしに視線をうつした。わたしの眼に。

「もしかして俺たちってタメかな」

 思いがけない切り返しをされて、一瞬何を訊かれているのか分からない。つい昨日まで、文字通り「雲の上」にいたひとに、こんなことを気安く尋ねられている。わたしの年齢。彼の年齢。わたしがこの街を出ていった年、彼はこの街に誕生した。誰よりも自由に、誰よりもしなやかに空を飛ぶヒーローとして。

「タメ……は、はい、そうですね。ことし、二十三になります」
「わお。やっと同い年の記者さん発見だ」

 ホークスの声がふわりと弾む。どもども、と彼がわざわざグローブを脱いで差し伸べてくれた手に、わたしは引っ張られるようなかたちで握手を交わした。この仕事に就いているひとはたいてい四年制大学を卒業しているから、たしかに、彼の年齢だと今まで年上にばかり囲まれていたのだろう。温かくかわいた手に手をつつまれ、それだけで、ひとの第一印象なんて簡単に上書きされる。全国トップクラスのヒーローがもつ、天賦の才というもの。それは何より、他人に愛される才能だ。

「ホークス。彼女ね、生粋のホークスファンなんですよ」

 二人の結んだ手に影が差し、振り返ると、窪山さんがにっこり愛想よさげな笑みをたたえて立っていた。このひと、いきなりなんてことを言うのだろう。まったく意識のほかから下心を仕立て上げられ、わたしは思わず友好的なホークスの手をふりほどき、自分の手をひっこめてしまった。

「え、な、ちがっ……違います」

 あわてて訂正すると、わたしがほどいた手にグローブを嵌めなおしながら、ホークスはふっと口もとをゆるめた。少し、いたずらっぽく。

「違うて。それも切ないんスけど」
「いえ、あの」
「照れんでもよかよ。だってデスクの引き出しにホークスの記事溜めこんでるもんな」

 先輩に笑顔でそう指摘され、突然、心臓に冷たい水鉄砲をくらったようだった。だけど、頬にはうらはらに、突発的な熱が溜まっていくのが自分でも分かる。ファンだなんて一度も言ったことがないのに、さも自信ありげにおべっかをつかったのは、そういうことだったのか。いつの間にあれを見られていたのだろう。目ざとくってかなわない。そういうところ、彼らは少し似た者どうしだ。

「あ、ああれは、違って、その、家族の思い出というか……」
「家族?」
「ま。そういうわけで、お手柔らかにお願いしますね。今後とも」

 ファンじゃないです、と強く否定するのもはばかられ、弱々しい弁明なんてもう通らない。ホークスの手を、窪山さんはグローブごと両手でがっしりとつかんで勢いよく上下に振った。はいはい、と先輩をいなすようにホークスは目を細め、彫りの深い二重まぶたをまたたかせる。そして、彼はわたしを今一度まなざすのだった。その眼で。彼が見ているものは、いつか彼の手に届くもの。どんなものも、広く見通し、自分の手もとに引き寄せてしまうような、妖しい引力をこめて。

「よろしく、さん。たくさん良い記事書いてね」

 憂うつな四月の雲がすっと抜け去って、長らく続いていた薄暗い心模様がゆっくりと塗り替えられていく。だけど胸のうちに訪れたのは、けっして澄みきった晴れ空というわけにはいかなかった。風が強く吹いている。何かもっと混沌として、うつろいやすい、不安定なざわめきが、全身の細胞に共鳴していく。
 それがわたしの、ホークスとの出会いだった。









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2019.1