二、軍議にて




 一八六四年の京都三条への出陣は依然として膠着状態が続いている。
 宵闇の京の街は入り組んでいるうえ闇に乗じて戦闘を構えやすく、そこかしこで敵の一派に足止めをくらってしまうため、なかなか遡行軍本体のしっぽをつかめないのだ。いまだこの時代でかの者らが何を企んでいるのかすら不明瞭なありさまでは刀剣たちの切っ先にも迷いが生じる。とくに不穏な時空のひずみを感知している木屋町池田屋の敷地内に踏みこんでからは交戦も熾烈を極め、すでに二度、は審神者として自軍に撤退の命をくだしていた。現状、遡行軍は積極的な歴史介入の動きを見せていないものの、動乱の幕末は諸藩に繊細な力学が働いているため、正統な歴史そのものが脆く、政府により第一級警戒区域に定められている。
 もはや一刻の猶予もない。三度目の出陣を明晩に控え、本丸では朝から第一部隊の面々を中心とした軍議がひらかれた。

「薬研」
「なんだ大将」

 同日未の刻、は古参の薬研藤四郎とふたりで遅い昼食を摂っていた。薬研はが審神者として初めて鍛刀に成功した刀剣である。この本丸では初期刀の陸奥守吉行につづく古株であり、戦場に送りだせば斬るも殺すもそつなくこなすが、よく気のつくまめな性格を買われて今ではおもに奥向きの差配を任されていた。
 はこの本丸に囲っている付喪神たちと大広間で食事をともにすることはないが、薬研とふたり、奥の間で食事を摂ることはある。今日もは薬研に膳を運ばせ、彼と向かい合い、焼き魚と煮物をつついていた。戦線が硬直したときほど、これだ。薬研はちらりとの表情を伺ってから、茶碗に残っていた白米の最後のひとくちを口に運んだ。

「今朝の和泉守の進言、どう思いましたか」

 彼女はもともと口数の多いほうではないが、ここ何日かはいちだんと沈黙に伏せっていた。考えていることは当然、そのことである。京都三条木屋町。時代を飛ぶのは刀剣の役目だというのに、彼女のたましいもまるで三世紀半の時を遡っているかのようだ。

「……ああ、俺を隊長にしろというやつか。ありゃ驚いたな」

 障子を開けた丸窓から桜の花びらが吹きこんでくる。薬研は長引く春のようにつとめて穏やかな笑みをこぼしたが、がつられて笑うことはなかった。

 今朝の軍議には第一部隊にぞくしている刀剣総勢十振りが一堂に会した。とはいえ彼らのなかでみずから策を講じるような者ははなから少ない。たとえば太刀の鶴丸国永などは、けっして腹のうちをみずから見せようとはせず、いつも朗々として討論の混戦を愉しんで眺めているような男だった。骨喰藤四郎や左文字刀は、任務こそ迅速かつ完璧にこなすが、これもまた自発的に戦況に興味を持つような性格ではない。軍議は自然、練度の高い二振りの打刀によって進められた。陸奥守吉行と和泉守兼定がそれである。

「そもそも甘いんだよお前の指示は。だから何遍もやつらを捕り逃がすんだ」

 口火を切ったのは和泉守であった。が部隊を二班にわけ、池田屋の裏口を押さえておくのはどうかと提案したとき、部隊長を務める陸奥守は、それでは部隊の被害が甚大となりかえって任務に支障をきたすのではないかと難色を示した。この慎重な態度が和泉守の癪に障ったのだろう。池田屋の間取り図を挟んで、ふたりは数秒無言で睨みあった。彼らはけっして険悪な仲ではないが、苦楽をともにしてきた古参どうし、良くも悪くも互いに遠慮というものが一切できない間柄のようだ。広間に緊張が走るなか、いちばんの下座で(これは軍議遅刻者の末席である)あぐらを崩して座していた鶴丸国永だけが場違いな大あくびをこぼした。

「怪我を負った隊員がおるのに、そう無理に先へは進めん」
「あんなもんが怪我のうちに入るんなら一歩も進めねえだろ」
「なんじゃと……」
「要は、お前は俺たちを信じてねえんだよ」
「違う! おんしのその判断のほうが甘いゆうちゅうちや!」

 陸奥守がめずらしく声を張り上げる。がすかさず仲裁にと口をひらこうとしたとき、それを遮るようにして広間のふすまが静かにひらかれた。入ってきたのは薬研藤四郎だった。彼は常時第一部隊にぞくしている最前線の戦闘員ではなかったが、こういった集まりの折りには近侍としてのそばに座しているのがつねである。今朝は手入れ部屋の稼働状況を先に確かめていたために軍議への参加が遅れたのだった。

「相変わらずやってるな。廊下まで筒抜けだったぜ、おふたりさん」

 すまん、と言って陸奥守はすぐに怒号を慎み控えた。和泉守は興を削がれた様子で視線をはずし、つややかな黒髪を荒々しくかきあげた。彼の纏う香のかぐわしい匂いがひろがる。不可思議にきつくかおる。和泉守の言葉は、第一部隊結成時から一貫して陸奥守に部隊長を任せ続けているにも神妙にのしかかっていた。

「薬研、鯰尾の容体はどうなっています」
「ああ、軽傷だ。問題ない、あすまでには万事治る」

 薬研の報告を聞き、和泉守は「ほらな」と小声でぼそりと洩らした。陸奥守は何か言いたげにふたたび睨みをきかせたが、それ以上その場で声を荒げるようなことはなかった。誰よりものびやかに自由だった男に、こうも窮屈な、隊長然としたふるまいというものを知らず知らずのうちに強いている。そうした気づきも、かつてない苦い戦況のさなかにあっての判断をぐらつかせた。
 そして、和泉守兼定の一言。彼は芝居がかったような深い溜め息をこぼし、をつよく、かたく、見つめた。

「おい、あるじ。このままじゃあ埒があかねえ。あすは俺を隊長にしろ」

 そのとき、を含め広間にいた全員の視線が和泉守に集まった。ただひとり、うつむいたままでいた陸奥守をのぞいて。
 敵を攻め落とすための陣形や装備についての献策であれば常日頃より活発に交わされるものだったが、隊の編成など人事にかかわることは基本的には審神者の一存である。彼らの命を預かる者として、そして彼ら心ある者を統べる身として、これほど神経をつかうこともない。それでもなんとか今まで、うまく彼らと接してきた。はそう思っていた。それを、今までの判断を、古くから傍らに置いている和泉守兼定に咎められたのだ。は目を見張り、脇息に預けていた右手を膝におろした。

「……あなたを?」
「あの建屋のつくりならよーく頭に入ってんだよ。俺なら確実にやつらを討てる」
「けれど、あなたはあの場所には思うところがあるでしょう。戦力に余裕があれば、あなたにはむしろいとまをと、」
「私情で身を崩すほどボケちゃいねえ。心配無用だ」

 は彼の灼けつくような蒼いまなこのなかに、はっきりと、自分を責める含みを見とめた。実力、実績ともにこの本丸で初期刀の陸奥守と張り合えるのは彼ぐらいのものだ。和泉守自身にもそうした自負があるのだろう。つまりこれは陸奥守を妬んでいるだとか、部隊長として信頼していないだとか、そういう料簡の進言ではないのだ。
 その場では返す言葉もなく、不用意なことには一度ひらいた口を無言のまま噤んだ。たたみかけるように、和泉守は身を乗りだし、彼女を覗きこむようにして言い放った。

「それとも私情に囚われてるのはあんたのほうか」
「和泉守、無礼が過ぎる」

 薬研がすかさず和泉守を制したとき、終始だんまりであった末席から不気味なほどほがらかな笑声がたちのぼった。澄んだ声が言い争いのさなかにまで延びてきて、和泉守がようやくから顔をそむける。声のぬしは鶴丸国永だ。平安の世を越えてきた刀のふるまいはどれも、おしなべてのどかなものである。百戦錬磨の覇気をせおい、人間からすればうすら寒いような涼しい表情で誰も佇んでいる。純白のころもをふわりと従えて、鶴丸はさも可笑しそうに袖口で不敵にゆるんだ口もとを覆った。

「そこまで言うのなら、俺はぜひ旦那のお手並みを拝見してみたいものだな」

 正午を告げる刻限の鐘が鳴り、各自の装備の揃えを確認するだけでその場はおひらきとなった。しかしの頭のなかでは今もずっと陸奥守の言い分、和泉守の言い分、そして鶴丸国永の、みょうに好戦的に響いた最後の一言がめぐっている。
 遅くともあすの朝までには編成を決め、その編成に沿った作戦を立て、隊のみなに伝えなくてはならない。
 陸奥守吉行は非常に温厚な性格のもちぬしであり、実践においても敵部隊との衝突をできるかぎり避けようとする傾向がある。やみくもな戦闘を好まず、刀をまじえ、銃を構えるときには必ず、大義や理由のようなものにこだわった。判断は慎重で、犠牲のうえに何かを成し遂げるという考え方を嫌う。こうした陸奥守の性分は、の信条とも一致するところが多い。だが、それは彼がの初期刀であれば当たり前のことである。初期刀に頼りきるということはつまるところ、戦術や進軍の判断にかんする柔軟性を欠くということなのかもしれない。

 が箸を置くと、薬研はさっさと膳を下げ、食後の水菓子とほうじ茶を用意した。急須であつい茶を注ぎながら、薬研はさきほどのの問いかけに彼なりの的確な返答を付す。

「あのふたりは、小競り合いは多いが、実戦での連携はなかなかのもんだと聞く。同じ部隊に置くのが得策だとは思うがな。隊長どうこうは俺が口を出せることじゃあない」
「口を出してほしいのです」
「そう甘えられても困る。……まあ、たまには嬉しいけどな」

 湯呑みをの前に置きながら、薬研はあるじをたしなめるようにふっと笑った。薬研藤四郎は分をわきまえた優秀な近侍だ。助言はするが、干渉はしない。そして秘密をかたく守る。例えば彼女の名前のこと。

「……わかりました。では、一時間後ふたりをここに呼んでくれますか」

 ひとつ、深呼吸をして、は薬研にそう命じた。桜の花びらが一枚、の膝の上に舞いこんでくる。今日は風が強いようだ。

「承知した」

 簡潔な一言を残して、薬研は軽くひざまずくと奥の間をあとにした。はらはらと桜が散り続ける春の午後に取り置かれ、は一時間後、腹心の彼らにくださなくてはならない命について思い馳せた。風が強いのではない。胸が騒いでいるのだ。









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2017.8