三、初期刀




 初期刀は政府より下賜される刀剣である。審神者の任に就いたとき、分霊の儀を経て、いくつかの初期刀候補のなかからは陸奥守吉行を選んだ。あるいはのほうが陸奥守吉行に選ばれたと言ってもいい。付喪神を口寄せる方法はいくつかあるが、審神者にとって現物からじかに付喪神を顕現させる機会など稀である。人間の想像力に宿る神ではなく、大げさな逸話や伝承にまみれることもなく、また現存し、二二〇五年という時代を知る刀。は陸奥守吉行の地に足の着いたどことなく理性的で朴訥としたふぜいに惹かれた。ひと目見て、歴史を守るにあたいするものだということが分かった。現在、本丸には五十を越える刀剣が暮らしているが、もちろんが現物に触れて付喪神を降ろした刀は陸奥守吉行ただ一振りだけである。
 あれはいわばにとって、顔と顔を突き合わせた出会いだった。顔とは人が人であるあかし。陸奥守吉行がまだ鉄製の武具であったときから、は、血の通った対面を彼と果たしていたのだ。

 今は遠い昔のはなし、本丸に集う刀剣がまだまだ不足していたころ、はよく本丸北の鍛冶場に籠もりきりで鍛刀にいそしんでいた。鍛刀とは現物に頼らない口寄せ術のひとつである。実際の製法をもとに審神者の霊力をもって模造刀をしつらえ、そこに付喪神を顕現させる。精度が低いわりにかなりの神経をつかう作業で、そのうえ当時のにはまだおのれの霊力を適度に制御することが難しく、日に何度も鍛刀を繰り返していると肉体的な疲労は相当なものだった。

「難儀なもんじゃな、鍛刀ちゅう仕事は」

 あるとき、何十回にも及ぶ試行ののちようやく大太刀の鍛刀に成功して、は室温四十度を超す鍛冶場で倒れた。異変を察知した陸奥守がのもとに現れたのはその十数分後だった。羽織りを煤で汚し、汗だくになってぐったりとしているを抱き起こしながら、陸奥守は苦々しく呟いた。難儀なものだ、と。
 鍛冶場には鍛刀に失敗したのであろう、付喪神の寄りつかなかった模造刀のがらんどうが何振りも散乱していた。命を持たず、役目も持たないそれは忌々しく、そして痛々しい。陸奥守は片手でを支えながら、おもむろにそのひとつを手にとってみた。ここは我慢ならないほど暑いのに、その刀身はぞっとするほど冷たい。驚いてすぐに手を離す。からからとさみしい音を立てて刀のなりそこないが床に転がる。陸奥守の腕のなかで、がまぶたを上げた。

「……陸奥守、」
「おお、すまん。うるさかったか。だーいじょうぶじゃ、眠っちょけ眠っちょけ」

 好奇心のおもむくままにふるまうのはそれまでだった。を両腕にしかと抱きかかえ、陸奥守はひとけのない裏庭沿いの縁側を素早く通り過ぎた。一目散に向かうは彼女の寝室兼執務室だ。この部屋に足を踏み入れるのは初めてのことではない。内々の言付けがあるときはいつも、奥の間か自室には彼を招いたし、招かなくても彼だけは自由に彼女の部屋を出入りできたのだ。
 勝手知ったる部屋のなかを足早にすすみ、陸奥守は寝台までを運んだ。羽織りを脱がせ、頼りないからだを横たわらせる。水を飲むか、という陸奥守の問いかけに、は小さく首を振って、かわりに口をひらいた。

「陸奥守、ひとつ頼まれごとを聞いてくれますか」
「もちろんじゃ。なあんでも、言うとおせ」
「その……わたしの文机のうえに、封筒がひとつあります。それを、政府の伝令に渡してきてほしいのです。客間に……今ごろ薬研が相手をしています」
「わしでええがか」
「あなたにしか頼めません」

 頷いてすぐさま振り返る。文机の上にはたしかに、玉紐でしっかりと封をされた分厚い茶封筒が用意してあった。手に取って裏返すと、そこにはおそらくなかにまとめられた報告書の一覧が貼りつけられており、最後の一行には「文責」として、陸奥守にとっては見慣れない文字列がしるされていた。初めて目にするのに、どこか懐かしい。陸奥守はその正体に気がついて、すぐさま顔を上げた。

「それはわたしの名前です」

 が無理に身を起こそうとしたので、陸奥守はあわてて寝台に駆け寄り、彼女の背中に腕を添えた。感謝の意をこめてがほほえむ。からだが辛いのだろう、彼女の笑顔には覇気というものがまるでなかった。

「……、ちゅうんか」
「はい。……ふしぎなものですね、もうあなたと出会ってだいぶ経つというのに、今になって名前を伝えているなんて……」

 本来ならば、顕現のその折りに名乗るべきだった。べつに隠すことではなかったのだが、の家系に代々伝わる迷信のたぐいで、おのれの名前をやすやすと神に差しだすことはどこか恐れ多いことのように思われたのだ。
 けれど、思えば陸奥守との出会いはたんに刀との出会いでも、また神との出会いでもなかった。
 遠くで鐘が鳴っているのが聞こえた。は目の動きだけで陸奥守をうながした。の背中に触れていた手を離し、寝台のそばに跪いたまま、陸奥守は彼女を見上げる。病人を看病する者の、静かないつくしみに満ちたまなざしで。

、これから鍛刀に精をだすゆうときは、かならずわしを呼べ。今日みたいに倒れさせたりはせんきに」

 もしもふたりのあいだに主従の契りがあるとすれば、その忠告にも、初めての呼びつけ方にも、ひたいに触れた手のひらにも、あのとき、契りを超えた温もりがめぐっていたように思う。心地良いと思った。それと同時に、このこころよさは危うい、とも。
 あれ以来、陸奥守はとふたりで居るときのみ、彼女のことを名前で呼ぶようになった。ふだんの生活のなかでは大雑把なところもあるのだが、彼はとても器用に敬意と親愛とをつかい分けたので、はほんのすこし、彼の新たな一面を垣間見た気がした。刀剣のなかでは誰より付き合いが長いとはいえ、どうやらまだ、山ほど知らないことはあるらしい。



 一八六四年京都への三度目の出陣が二時間後に迫っていた。第一部隊にぞくしている面々はみな度重なる出陣にも慣れたもので、控えの間には定刻の数分前にならないと全員揃わない。道場で軽く汗を流すもの、食堂で腹ごしらえするもの、大部屋で仮眠をとっているもの、みな思い思いの仕方で時間をつぶしている。が陸奥守の部屋を訪ねたとき、彼はまだ平服で湯漬けを食べているところだった。

「陸奥、いいですかすこし。食べながらでいいので」

 陸奥守が彼女のことを名前で呼ぶように、いつのころか彼女もふたりのとき彼のことを親しみをこめて陸奥と呼ぶようになった。の突然の来訪に陸奥守は目をまるくして、残りの湯漬けをかきこむとさっと膳を片づけた。
 軍議をもとにが下した決断は、和泉守兼定を第一部隊の部隊長に任命し、和泉守と陸奥守を二手にわけ、遡行軍の退路を塞ぐというものだった。昨日、そのはなしを和泉守と陸奥守を奥の間に呼びだして伝えた。隊長を変えたのは突破口をひらくためだということ。ふたりの能力を同等に評価しているということ。そして、一刻の猶予もないということ。ふたりともあらたまった顔をして、真剣にあるじからのじきじきの命を受けていた。
 六畳一間で初期刀と向かいあい、はあるじとしてかける言葉を探していた。たくさんの言葉を持ってきたはずが、どれも蛇足のようで、ぱっとしない。思いあぐねるにかわり、先手を打ったのは陸奥守のほうだった。

「昨日もゆうたけど、わしは、なあんも気にしとりゃあせんよ。作戦のことも、部隊長のことも。肩書きにこだわりはないき。それに和泉守、あいつは信頼できる男じゃ」
「……ええ。わたしも信頼しています」
「それ、あとで本人にゆうてきたらええがやき。百人力ぜよきっと」

 曇りなく笑う。太陽、というのは陳腐だが、光を織りこんだようなほほえみ方をする。その奥にどんな暗がりを孕んでいるのか知れないが、彼がそうやって笑うのだから、ことさらに詮索はしない。

「陸奥、これを持っていってくれませんか」

 羽織りの袖口からは青い小袋をひとつとりだし、そっと陸奥守の前に差しだした。今日、出陣の直前にわざわざ彼の部屋に赴いたのは、何もさんざ伝えたことを念押すためではない。彼に渡したいものがあった。陸奥守は初めて見るその魔除け袋のようなものを手に取り、ふしぎそうに首を傾げた。

「なんじゃあ、これは」
「特殊な霊力をこめています。死期が近づくとなかの護符が破れて、一度だけあなたの命を守ってくれます」

 第一部隊を二つの班にわけるという作戦を固めたとき、のなかでもうひとつの決意が固まった。この護符は、いくつも量産できるしろものでもなく、つくり置いておけるものでもない。彼女の力量ではまだ、一晩でひとつをかたちにするのでやっとであった。
 審神者は時空を遡れないが、時空のひずみのもとへ送りこんだ刀剣の戦況を知ることならば多少はできる。ただし、審神者が霊力をもちいて察知できるのは部隊長の状態のみだ。今宵、不気味な暗闇の向こうに陸奥守は旅立つ。そんな心地がしたものだから、彼女は居ても立ってもいられなかった。
 が差しだしたその小袋を、陸奥守はしばらく手のうちで眺めていた。いつの間にか彼の明るい笑みは消えていた。ちらりと陸奥守がにまなざしを仕向ける。胸にいばらが突き刺さったような息苦しい痛みが、彼女の内側にひろがった。

、こういう扱いは、わしは好かん。二度とせんでほしい」

 そう言って、陸奥守は彼女の手製の護符を突き返した。きっぱりとした拒絶であった。予想外のことには内心うろたえて、返す言葉を見つけられなかった。時間を五分、戻してしまいたい。動揺の深くには、そんな幼稚な羞恥心が渦巻いていた。
 ――それとも私情に囚われてるのはあんたのほうか。
 あの蒼色が血のようにひろがる。背中がひやりとして、はもっとも信頼する二振りの打刀に、まったく同じことを責められてしまったような気がした。

「ええか、約束じゃ」
「……けれど、」
「安心せえ。わしは死にゃーせん。班のやつらも、誰も死なせはせん」

 かすかな怒気を含んだ声が彼の誠実さのあらわれだった。畳にこぶしをついて身を乗りだしたとき、もう、陸奥守の顔にはあの光る笑みが戻っていた。彼の眼のなかには、薄い橙の色。それはときに、帰り道を染めあげるさみしい夕暮れを思わせる。

「これも約束じゃ」

 が弱々しく首を動かすと、迷いと遠慮のこもった繊細な指先が伸びてきて彼女の喉もとをかすめた。触れたはしから何かを読みとるように、陸奥守の手のひらが丁寧にの頬を包みこむ。ゆらゆらと、もうずっと危険な水位で、ふたりはふたりを堰きとめているようだ。触れても、温めても、確かめられたのはそんな詮無いことばかりだった。けれども、それ以上の拠りどころなどもとより彼らには望むべくもない。
 胸にせりあがってくる不吉な予感を止められないまま、は頬をなぞっている陸奥守の手にそっと自分の手を重ねた。



「第三次池田屋介入総括」より抜粋

 戌の初刻、部隊長和泉守兼定班三名が正面より池田屋一階に突入。陸奥守吉行班三名は建屋裏手、三条河原前にて待機。戦闘を構えながら建屋奥に遡行軍を誘導し、亥の刻前には全遡行軍の掃討を完了した。当本丸が監視している時間線に異常は見られない。
 なお今回の介入において陸奥守吉行が戦線崩壊、直後に部隊長と合流したため破壊を免れ無事に生還している。戦意喪失の疑いなし。内応の疑いなし。班員の鯰尾藤四郎をかばい、遡行軍残党の放った銃弾に撃たれたと思われる。医療班によると完治には二週間前後かかる見込み。
 本出陣によって破損した装備は弓矢二組、投石三組、重騎一組 以上。

文責 備前国第十五号本丸 審神者 









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2017.8