四、和泉守兼定




 和泉守兼定はその刀身でいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた実戦向きの刀である。敵を斬る、という行為にためらいがない。ためらえば今度は自分が斬られるのだという、刀を合わせたものどうしの対等な緊張関係をよく心得ているからである。
 先日、和泉守は初めて最前線へ派遣される第一部隊の部隊長を任された。和泉守の顕現は早く、もとより隊員としての実戦経験は申し分ない。急を要する出陣要請にも、かつてない作戦にも難なく対応し、その日の彼はまさに阿修羅のごとき大活躍であった。政府の入電によればこのたびの遡行軍の動乱はこちらの目をくらませる陽動作戦であったようだが、どのみち歴史に障る可能性はすべて駆逐するよりほかはない。部隊長としての自身の働きに、和泉守はおおむね満足していた。ただひとつ、別行動をしていた陸奥守吉行が敵の銃弾を浴びたということだったが、彼も命に別状はないという。怪我をすることなど日常茶飯事で、各自、覚悟のうえでもある。真正の人間のからだとは違って時間をかければかならず治るものなのだから、いちいち気になどしていられぬ。
 ――みごとでした和泉守。
 和泉守にとってはあるじのその一言でじゅうぶんな誉れだったのだ。

 あれから一週間が経ち、和泉守は手合わせの稽古の帰りに、陸奥守の自室へ立ち寄った。あるじの用意した札の効果で手入れ部屋からは早々に出られたようだが、どうも敵方独自の特殊な銃弾がからだ深くに入りこんだようで、傷口を完全に塞ぐには肉体の自然な治癒力に頼るしかないらしい。そういうわけで陸奥守は当分すべての任からはずれ、自室での静養を命じられていた。
 陸奥守と顔を合わせるのは、あの夜、腹部から血を流して気を失っている陸奥守を三条河原で抱き起こして以来だった。腹に包帯をぐるりと巻きつけた姿で、彼は布団から身を起こして肌身離さず持っている愛用のリボルバーを手入れしていた。銃に撃たれて寝込んでいるというのに、そのからだでよくもまあそんな作業ができたものである。和泉守は呆れながら、布団のそばに腰をおろした。

「元気そうじゃねえか」

 和泉守がそう声をかけると、陸奥守はからりと笑って首を横に振った。

「いんや、死にそうじゃ。なーんもすることがのうて」

 出陣先でも空き時間が少しでもあれば散策に乗りだすようなじっとしていられないたちの男であるから、日がな一日六畳一間に押しこまれている生活で満足できるわけがない。美術品としてもてはやされているようなご立派な刀もあるのだろうが、和泉守の持論としてはとどのつまり刀など人斬りのための実用品である。使われなくては、斬ることができなくては、意味がないのだ。

「その様子なら次の出陣には間に合うだろ。監察のやつらのはなしじゃ、近ごろ延享年間に不穏な動きがあるらしい。そこでぞんぶんに暴れりゃあいいさ」

 励ますような、好奇心をけしかけるような声色で、和泉守はあるじから聞いていたはなしを伝えた。彼の性格からして、かならずや乗ってくると思ったが、その反応は和泉守の予想に反して芳しいものではなかった。

「あー……そのことなんじゃがの、和泉守」

 陸奥守はリボルバーを磨いていた手をやんわりと止め、銃と布きれとを膝の上に置いた。よほど暇を持て余していたのか、手入れしたての銃身は見たことがないほどあやしく黒光りしている。寝癖がところどころついたままの、だらしのない髪を人差し指で掻きながら、陸奥守はどこか気まずそうに言葉を続けた。

「わしは今後、第一部隊から退くことになった。もう遡行軍との喧嘩はしまいじゃ、これからは遠征部隊を任されちゅう」

 その告白は和泉守にとってまさに青天の霹靂だった。もちろん、部隊というものは派遣される場所により時代により、あるいは刀剣それぞれの得手不得手、刀剣どうしの相性などを加味して柔軟に編成が変わるものである。けれども陸奥守吉行と和泉守兼定、この両名だけは結成当時から一度たりとも第一部隊の編成をはずれたことはなかった。誰よりも時空を駆け回り、誰よりもともに戦ってきた同士だ。それが、なんの前触れもなく、今後いっさい第一部隊をはずれることになっていたのだから、これで動揺しないわけもなかった。勝手に終いにしてんじゃねえ。驚きを通り越して、何か、怒りのようなものさえ湧いてくる。

「なんでだよ……」
「すまんが言えん。けんどこれはわしと、」

 息を止めるように、不自然に陸奥守の言葉が詰まる。そのとき、横から見つめていた彼の表情にしごく微細な、それでいて悲劇的な亀裂が入ったような気がした。そんな顔をされれば、聞き逃せるはずもない。ただ、むやみに聞き返せることでもなかった。

「……わしと、あるじの問題やき、おんしゃあ関係ない」

 普段のこの男からすればまったく似合わない、ひどく排他的で頑迷な言い分であった。最後の出陣で部隊長を務めていた和泉守を思いやっての言葉ともとれるが、それがほんとうだろうと気づかいだろうと、和泉守はまったく納得できなかった。かといってこれだけはっきりと「関係ない」と言われてしまえば、もう、目の前の男は何も語る気がないのだろうし、あるじに直接ことのみちゆきを問いただすという道も塞がれているように思えた。何も伝えられなかったことについて、こちらから頼みこんで聞きだすなど、そんな滑稽なまねを誰ができようか。
 淀んだ空気を蹴散らすように、陸奥守はなんとか笑って、和泉守を見上げた。

「第一部隊、おまんに任せたぜよ。和泉守兼定。あんひとを支えてやっとうせ」

 この本丸の、そして自分のあるじが、どういう人間なのか。そんなことは前のあるじのもとでは、すぐに、じかに、手に取るようにわかっていたことだった。刀と、刀を振るう者は元来、相当な使い手であればあるほど一心同体なのだ。だけど、今はどうだ。このからだを得た自分はどうだ。肉体は頑強な隔たりとなり、心は不可知の要塞だった。視えるものよりも、視えないもののほうがずっと多い。他人のことも、自分のことも。

 陸奥守が第二部隊の隊長を務めることになったとみなに伝えられのはそれから三日後のことだった。おもに一週間前後の長期遠征を担当するのだという。
 これからは出陣間隔がより狭まるので、本丸の資材備蓄を増やしていかなくてはならない。遠征における資材の調達も今まで以上に重要な仕事になるので、陸奥守を隊長に据えることにした。あるじは、そんな説明をした。嘘ではないのかもしれないが、ほんとうのことでもないのだろう。
 そして、和泉守兼定は正式に第一部隊隊長を陸奥守吉行から引き継いだ。



 あるじの言った通り、陸奥守が第一部隊を抜けてからの二三ヵ月、和泉守はかつてないほどに多忙を極めた。出陣の数や期間はさして問題ではなかったが、第一部隊がもっとも経験豊富な隊員を失ったという現実は険しく、穴を埋めるのに隊員はみな必死だった。誰より負担を強いられていたのはもちろん、新しく隊長を任された和泉守だったろう。肉体的な疲労や忙しなさは思考を鈍らせる。不可解な編成のことも、あの日の陸奥守の言葉も、深く考えているいとまはない。気づけば、和泉守は任務に没頭していた。苛立ちを打ち捨てるように、目の前の敵を斬って、斬って、斬り続けた。

 新たな出陣を二日後に控えた昼下がり、和泉守はあるじの執務室に呼びだされた。部隊長に定着してからはこの部屋に招かれることもめずらしくなくなった。ノックをすると、なかから「どうぞ」と声がかかる。天窓からしらしらと降りそそぐ陽の下、和泉守はいつもの執務用の机に向き合うかたちで上質なソファに腰を沈めた。ここは広々とした洋風のつくりだが、一段上がった閉ざされた襖の向こうにはおそらく畳敷きの寝室がある。彼はまだ、その部屋を見たことがない。

「からだはどうですか」

 切子のグラスにいれた冷たい緑茶を出しながら、彼女は様子でも窺うように和泉守のとなりで身を屈めた。隊長になって感じるようになったことだが、しばしば見せる彼女のこういう態度がこそばゆくて仕方がない。胸を内側からくすぐられているような心地がして、振り払いたくても振り払えないような居心地の悪さを覚えるのだ。

「べつになんともねえよ」
「朝から顔がまっさおで気になっていたんです」

 ひたいに触れようとして伸びてきた手を、やんわりと拒むように顔をそむける。単純にうっとうしいのもあるが、触られれば熱を持て余していることに気づかれると思ったからだった。いや、すでに悟られているのかもしれない。心配をされることを何より嫌う相手にこんなことを尋ねてくるのだから。先の出陣から帰還して一週間、和泉守はまだ原因不明の微熱がおさまらないでいた。

「で? 今日はなんの相談だ」

 体調をとやかく言われるためにここに来たのではない。和泉守が足を組み直すと、あるじもようやく引き下がって彼の向かいに腰を下ろした。テーブルの上に用意されていたのは、和泉守がまとめた前回の出陣にかんする簡単な報告書だった。

「次回の延享年間への出陣ですが、第一部隊の部隊長は鶴丸国永にお願いしようと思っています」

  報告書に軽く目を通しながら、彼女はこともなげにそう言った。やわらかで質のいいソファに預けていた背中が、突如、かたい鉄壁に接しているかのようにぞっと冷える。和泉守の脳裏には、陸奥守を見舞ったあの日のことが自然とよぎっていた。

「……ちょっと待て」
「ひいては、今日中に任務の引継ぎをしてほしいのです。鶴丸には伝えてあるので、夕餉のあとこの報告書を持って書院の間に、」

 淡々と報告書を差しだしてきたの手を、甲から覆うように制すると、ようやく彼女はよどみなく続けていた業務連絡を中断した。力を入れて押し返そうとするが、彼女もまた相応の頑なさをぶつけてきている。ふたりの視線がぶつかり、和泉守はあるじを睨みつけたままつかんでいた手を離した。

「いいか。俺はやれる、やらせてくれ」
「やれません。あなたは疲れている」
「疲れがなんだ。疲れてねえやつなんざいねえよ!」
「……とにかくもう決めたことです。決定事項を伝えたまでのこと。一度ゆっくり休んでください」

 和泉守の視線から逃れるように立ち上がり、彼女は壁を一面覆っている本棚へと歩み寄った。
 彼女は簡単に「一度」というが、部隊長の交代がほんとうに一度で済むかはわからない。ただ、一度だろうと二度だろうと永久にそうなろうと、部隊長を降ろされることなんて、ここに湧き上がる苛立ちに比べれば大したことではないのだ。あの日感じたこと。そして今、感じていること。なぜ「あるじ」と呼ぶ人間と、こんなにも遠く、これだけ戦場で扱われてもなお、誇らしさを掻き消すほどの惨めな思いが募るのか。

「……またそうやって裏でこそこそと独断か、

 本を取りだそうとしていた彼女の指先がぴくりと止まる。たったいま涼しい貌でこちらを部隊長からはずしたくせに、これぐらいの一言で表情を崩すのならば、はなからとりつくろうことになど意味はなかったはずだ。和泉守はふらりと立ち上がり、あるじを追いつめた。あの男のたった一度の、爪先ほどのあやまちが紡いだ、彼女の名前をつかって。

「なんだよその顔は。どうせ裏ではそう呼ばれ慣れてんだろう」
「……陸奥守ですか」
「なぜあいつを第一部隊からはずした」

 数ヵ月前のあの日から封をしてとどめておいた箱がひらく。ひらくというより、ひっくり返って、どうしようもなくこぼれた。互いに立ち上がってしまえば和泉守の背丈は彼女よりもずっと大きく、まひるまを遮る影のなかにはすっかり覆われてしまう。和泉守を見上げ、黙し続ける彼女のまなこは、迷いを含んでいるようにも、疑問を孕んでいるようにも、恐怖を呑みこもうとしているようにも映り、ますます彼を苛立たせた。すべて、おのれの内側に溜めようとする。ここに、ふたりのあいだに吐きだせるものなど、彼女には何もないのだ。

「……もういい、あんたが俺をどう見ているかよくわかった」
「待ちなさい和泉守、」

 物言わぬ相手に待ったをかけられる道理がどこにあるだろうか。彼を引き留めようと腕をつかんできたの両手を、和泉守は乱暴に振りほどいた。ちからの加減などできない。は足をもつれさせ、その場にくずおれた。

「……命には従う。すこし頭を冷やす時間をくれ」

 やっとのことでそう言い残し、和泉守はテーブルの上の報告書をひっつかんで執務室を出ていった。









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2017.8